別れの予感

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といってもテレサ・テンの歌ではありません。
2月1日の夜から東京では珍しく雪が降り、翌2日は火曜日でお休みだったため、
ネットで201系の運用を調べてから出かけました。駅までは歩いて行こうと考えていましたが、
雪が凍って歩道は凍結していたためバスで移動、ですから東小金井駅には通過30分前に
着いてしまいました。平日の朝なので人は少ないかと思いきや結構な人・・・。
300mmレンズのおかげでなんとか場所を確保して撮影したのが一枚目の写真。
第4編成です。ちなみに運転席向かって左上に白地に赤文字で書かれた数字が編成番号です

その201系の顔には「201系、愛されて30年」のステッカーがあり、私はこれを見て
「あぁ、ダイヤ改正後も生き残ると言われていたが・・・とうとうお別れか・・・
お別れの前のせめてもの装飾なのか」と悲観的な思いがしてしまいました。
自宅に帰って調べてみると、201 0年 2月01日 ということで「201系の日」という
のを八王子支社が決め(笑)そのからみのステッカーだそうで、すぐに引退という訳では
ないようで一安心。

さて当初のプランでは、この後は拝島に米タンを撮りに行く予定だったのですが、
急遽予定を変更し、東京駅で折り返してくる201系を東小金井で待つことにしました。
ステッカーが貼ってある顔を強調するため縦構図で引きつけて撮ろうと考え、
201系が折り返してくるまで、暖房の聞いた待合室で暫し休憩。
いやぁ、待合室の存在がこれほど役立ったことはありません。

しかしファンならば同じことを考える人も多かろうと、写真を撮る為の良い場所を
キープするため、だってこの場所は一人しか立てない!!ですから通過30分前には
ホームの端に立ち、寒風吹きすさぶ中じっと待ちました。しかしどうやら
運用変更があった模様で、結局201系が通過したのはホームに立ってから小1時間経った頃。
身体の芯まで冷えました。これが四枚目の写真。
縦構図のためウインドウズからアップしたため順序が狂いました。

まだ青梅線内を走る米単には間に合うことがわかり、東中神の線路端まで行ったところ、
やって来たのは201系の第7編成!!朝調べたネットの情報では居場所がわからなかった
もう一本の201系です。何とラッキーなことでしょ!!朝の青梅線トラブルの影響なのか、
どうやら青梅線折り返し運用に閉じ込められているもようで、ナントモうれしい誤算。

米タンは定刻にはやってこず、どうやらウヤ(運休)のようでしたが、201系を雪景色の
中撮れたことで当然帳消しです。それが二枚目。

三枚目は、望遠レンズを持っていなかった子どもの頃の写真を狙って撮ったもの。
高架ばかりの中央線ではなかなか撮れない、地面の目線から撮ったものです。

この後東中神駅近くのインド料理店でランチを食べて帰宅、よく歩いたことと
花粉の薬も相まって少し昼寝をいたしました。
仕事がらみで心が折れそうな出来事が続いていましたが、よいリフレッシュとなりました。

今日は床屋に行きました。待っている時にモーニングを読むのが楽しみなのですが、
かわぐちかいじ」氏の『ジパング』の作品中に太平洋戦争前のシーンが出てくるのですが、
その機関車が「C6120」・・・わかってるじゃないか!!
今度JR東日本が復活させる蒸気機関車の番号です。さすがだな、と思った次の瞬間、
いやC61は戦後の改造車だから時代設定に合ってないじゃん(笑)、と思いましたが、
まぁそんなことよりも「ハドソン」が復活するといううれしさのあまり
氏は筆を揮ったのだと思います。なぜって氏のペンネームは昔の中央線の急行列車
大月で分割する「急行かわぐち(河口湖行き)・急行かいじ(甲斐路・甲府行き)」
からとったのだろう。お住まいも小金井だし、とおもって調べてみるとご本名とのこと。
これは早とちりでありました。