レッコーアンカー

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ぐるっとパス」なるお得な博物館チケットセットがあり(実にお得でお勧めです!!)、
それ利用して先日ジュニアとお台場の「船の科学館」に行ってきました。

船の科学館」は実物大の巨大なピストンとか、タンカーの模型とか、乗り物マニアとして
興味深い展示が多数ありましたが、親父の目当ては何と言っても青函連絡船「羊蹄丸」。
展示をザックリと見てからおよそ20年ぶりに「羊蹄丸」に乗船!!

 船の煙突はJRマークではなく、JNRマークが!!ここら辺の演出は泣かせます。
船の中には昭和30年代の青森駅を再現したゾーンもあり、北海道用の二重窓を装備した
スハフ44やDE10が保存されており大感激。さすがに「控車」はつながっていませんでした。
でも模型で車両積み込みの様子が再現されており、ジュニアはそれで「ヒ」のマークの
控車の用途を理解した模様。「ヒ」はまだ隅田川あたりで使っているのかな?

 かつては立ち入ることができなかったブリッジには、ボランティアガイドとして
もと檜山丸の船長のNさんがおり、ジュニアに向かって解説をしてくれましたが、
何せジュニアにとって青函連絡船は、遠い過去のこと。???という感じだったので、
ここぞとばかりに親父が船長にいろいろと質問。
 実は20数年前この羊蹄丸に乗ったのだが、酔ってしまって海峡ラーメンを食べられなかった。
といった話から盛り上がり、列車との接続には気をつかった話。遅れた時は少しでも
遅れを取り戻すためにフルパワーで走ったこと。また風やうねりの向きを判断して最適な航路を
選択したこと。貨車の積み込みの時には船の横のバラストタンクに注水してバランスを
保ったが、注水には時間がかかるため地上職員との連携が欠かせなかったこと。
そして時にはその時間を巡って地上側といろいろと言い争いもあったこと。
貨車はワイヤーで固定するのだが、万が一貨車が船内で倒れても、隣の貨車に被害が
及ばないように、柱の間隔を短くしていること。とにかく入港から出港までわずか55分の間に
船倉から貨車を出して、それからまた入れるという作業に驚きました。
そして国鉄最後の日にはそのわずかな時間で煙突のマークをJNRからJRにしたこと、
などなど船長の話は実に興味深いものでした。
 船長は青函連絡船最後のダイヤを見せてくれ、昔はもっと多かったんだがという話に
私が「有川桟橋」などもありましたものね、というと大変喜んでくれました。
 船長の言葉からは、北海道と本州の人の流れと物流を支えてきたのだ、という誇りを、
一言一言の言葉から感じることができました。

 一枚目の写真、遠景に写る巨大なキリンのようなクレーンは「函館ドック」(笑)
本当は大井埠頭のコンテナ用クレーン。でも夕陽がきれいでしょ?
間もなく函館を出港、青森からは583系寝台特急はくつる」に連絡、上野には翌朝6時の到着です。という感じがしませんか?
 二枚目は横からの写真。JNRマークがはっきりとわかると思います。私はこの後ESD勉強会に参加
して帰宅は遅くになりました。そうしたら201系が一日一本しかない国分寺行き充当されていました。