4,Aug Pearl Harbor

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

 8月4日のお話。
この日は普段なかなか立ち入る事ができない、ハワイの米軍基地に入りました。

 一枚目と二枚目の写真は1941年12月8日(日本時間)の日本軍による真珠湾攻撃時の
機銃掃射の跡です。アメリカ人の先生方は興味深げに見ていましたが、
正直私は、この手のものは日本には掃いて捨てるほどあるわい、と思っていました。
やはり徹底的に本土を爆撃機に空襲され、艦載機に機銃掃射された日本と、
第二次世界大戦時に真珠湾以外は基本的に攻撃されなかったアメリカとの違いかな、
と思いました。

 また二枚目の写真は現在在ハワイ軍司令部の建物として使われているのですが、
1941年時の弾痕をわざと残しているそうです。日本ではこういった場合
「二度と悲惨な戦争を繰り返されない為に」という意味で残されますが、
ここで弾痕を残した意味はわかりませんでした。
(単に英語が聞き取れなかった為かもしれませんが・・・)
ただ、その意図は平和を祈念したものではなく、おそらく「油断してるとまた
こんな目に遭うぜ」という警告としての意味合いが強いのだろうと思いました。

 三枚目の写真は米軍基地内での、真珠湾攻撃時の生存者との会食の様子です。
これは日本人に撮ってはきつい食事でした。つまり加害側の日本人と
それによって仲間を失った退役軍人が同じテーブルで食事をするのですから。
 退役軍人は極めて紳士的であり、日本から来たつたない英語話者に私に優しく
接してくださいましたが、私は後ろめたい気持ちでいっぱいでした。

 四枚目の写真はワイキキに近い博物館の展示。
一番上の神武天皇の顔を拝見したのは初めてでした。だって実在の人物かは・・・ねぇ。
また日本地図では「川崎」の位置が「御前崎」になっていて、地理屋として、
「おいおい違うぞ」と言いたくなりましたし、北九州には「福岡」のみならず
製鉄所のあった「八幡」も描かれているところが、軍事的な視点だなと思いました。

この日の午後は兵士の墓地に行きました。このときの「重い」報告はまた次回に。