おとなの休日

年をとると基本あんまりいいことないのですが、ジジババ大国になってきた我が国は
人数も可処分所得も多いジジババ向けのプランを用意しています。そのひとつが
JR東日本の「おとなの休日倶楽部」でありまして、その会員のみが買える「おとなの休日パス」
というのが破格なんでございます。JR東日本全線と私鉄各線乗り放題で4日間で15000円!!
しかも指定券6回までOKだなんて、マニアとしてたまらない切符です。

6月はいろいろ忙しく、この旅行期間を捻出するために仕事頑張りました!!
で、7月1日は板谷峠を久しく通っていなかったので「つばさ」でまずは米沢へ。

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私の頭ん中はまだ「やまばと」時代なので、米沢まで約二時間なんて夢のようです。
米坂線までまだ時間があるので、駅付近を散策して早めに駅に戻り、地理院地図で
予習したところ進行方向左側が景色が良さそうなので、その座席をゲット。
今日の旅はこの米坂線以外は全て指定席なので、ここが最大の難関でありましたが
無事に座席をゲットできて一安心。席を確保してから列車の撮影をいたしました。

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もはやおじさんは「新型気動車」としかわかりません。軽快で格好いい気動車ですね。
もっとも私は後ろのキハ110系に乗りましたが・・・。

米坂線では山形県新潟県の県境に驚いたり、新たな発見がありました。
以前の乗ったのは大学生の時ですからあれから30年くらいたっているのですね。

坂町からは各停で村上に出て、市内をちょっと散策、駅近くの立ち食い蕎麦屋で腹を満たし
駅に戻りました。この写真はほぼ同時進入の新潟行きの「いなほ」
時間にゆとりがある旅行ならば、キハ47系に揺られるのも贅沢な旅です。

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これまた久しぶりに乗った羽越線で秋田まででて、そこから「こまち」で仙台。
この日は仙台に泊まりました。

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仙台発9時12分の新幹線まで時間がありましたから、ラッシュ時の仙石線を冷やかしてきました。
そこそこの乗車率でした。さすが、仙台は東北第一の都市なんですね。盛岡まで40分ちょい
というあまりの高速さに「くりこま」を知っている世代として腰が抜けそうになり、
盛岡市内を散策し、山田線ホームに戻ると発車30分前というのにすでに列が!!
とはいえ二番目でしたので、これまた予習した進行方向左側の座席をゲット。
途中区界までの山越区間は先頭にかぶりついて線路を眺めていました。

地図を見て相当険しいとはわかっていましたが、実に険しいですね。ここをC58が
貨物を牽引し、太平洋戦争期間中は内航海運が破壊されて壊滅したため、釜石の鉄製品を
24時間運行で搬出していたとは・・・。

今となっては駅も無くなったこのスイッチバックも、蒸気機関車が火床を整理し、蒸気圧を
整えるためには不可欠な施設であったことでしょう。

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車内は「おとなの休日」を楽しむ方が多く、多くの方はそのまま三陸鉄道に乗り継ぎました。
この切符、三鉄も乗車可能という太っ腹なんですね。で、その三鉄は見事なまでに観光客
ばかり。つまり地元の利用は・・・という状態。ワンマンの運転士も適宜観光案内をしたり
綺麗な浜辺では徐行したりと、定期列車であるにもかかわらず、乗りは完全に観光列車。
途中「あまちゃん」の舞台となって駅では、観光客のシャッターを押したりと運転士さんも
大変。ちょっと遅れて途中の一時停止箇所はそのままスルーしました。仕方ないですね。

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この後は久慈から八戸線に初乗車し、八戸からは新幹線で一気に帰京しました。
頭ん中、八戸からだったら「はくつる」か「ゆうづる」だろうという私は化石ですね。

で翌日の7月3日は引退が決定しているスーパービュー踊り子の上り先頭座席を確保して
ありますので、それに乗りに行きます。東京駅9時発の「踊り子」に乗るため、ラッシュが
嫌いな私は6時台の列車で東京に向かい、仕事に備えるサラリーマンで溢れる喫茶店
優雅にコーヒーを飲んでから自由席に並びました。当然おめあては、これまた引退が
決定している185系。座席はモーターの音を堪能すべくモハ。当然座席は海が見える
進行方向左側。稲取で降りて編成写真を撮り、出発シーンはムービーに収めました。

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下田に電車で降り立つのは40年ぶり?その時は157系の「あまぎ」が帰りましたので
よく覚えています。183系の「あまぎ」「踊り子」には乗っていないのです、私。
駅近くの町中華で広東麺を食べて店を出るとSVOが入線してきたので一枚。

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で帰りは先頭座席からの眺めを堪能しました。

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という「おとなの休日」でした。
で、今週末はグリーン車で・・・。