台湾旅遊報告 1998年
1998年に個人旅行で台湾に行ったことがあります。その時に平渓線を訪れた時の写真の
で1998年はこんな感じで撮ってました。もっと画面の奥で撮っていたのですね。
デジタル版があったので、はっつけます。これ、今だったら休みの旅に訪台でしょうな。
台北から平渓線は「平快」で行ったようですね。帰りは同じく平快に乗り、この駅で
デーィゼルから電機に機関車交換をしているため、我々が乗ってきた平快は台北地下駅から
このディーゼルだったのだと思います。なんとなくトンネル内うるさかったな、という
記憶があります。
この頃の機材はEOS1。フィルムは富士のベルビアを使っていたような気がします。
デジタルじゃないから、一枚一枚、丁寧に撮っています。瑞芳で乗り換えたのか、
それと今は猫村だかなんだか知らないが、そこそこ人気の駅で乗り換えたのか忘れましたが、
台北方面行き自強号の通過を待って平渓線に入るので、通過するまで列車は発車しないだろうと
判断して撮っています。ドアが閉まったらどうするのかって?手動だから問題ないんですよ。
たしかこの時期電化工事中だった気がします。
小さかったため、その工事中の様子は見られませんでした。だからこの時、台湾で
電化工事中の様子を見られて感激したのを覚えています。
下の三枚の写真。どうやら我々は次の大華駅で降りているみたいですね。あんまり覚えて
いないんですけれど・・・。
次のカットが滝のところの鉄橋ですから、われわれはここまできっと線路を歩いて
きたんでしょうね。道はいまでもなかったような・・・。うろ覚えですが・・・。
次のカットは十分駅。暑い中歩いて「冷気開放」の店で飲み物飲んで何かしら食べて
「生き返ったなぁ・・・」と思ったことはよく覚えています。まだランタンなんて
アホなものなかった時期ですよ。
ホーシャオシェン監督の「日本触媒のCM」のアングルが大好きで、きっとこの時も
それを狙ったのでしょうが。後ろに見えている通り、選挙の旗が並んでいて風情が台無し。
だから走行写真をとらずに駅に来ているのだと思います。
アングルは違いますがいまは・・・Oh my God!!
もうお祭り騒ぎの縁日。この日は結構雨足が強かったけれどこの人出。で列車も立ち客沢山で
ローカル線的な風情はゼロ!!
もう私の好きだった十分は無くなったんだね。とっても寂しいよ。
だってホームこんな感じですぜ。
しかも何?ドレス着てカメラマン引き連れて、結婚式かなんかでみせるの?
ここで再び1998年に戻ってみましょう。終点チントンに到着しました。
いいでしょ?観光地じゃない普段着の台湾の田舎。親父のファッションがたまらなく素敵です。
しかも車両も単行で、助手席潰してトイレにしてあります。昔の近鉄電車みたい。
そうだよね。ここは炭鉱の石炭を輸送するために建設されたんだよね。でもこの数年前に
閉山されたらしい・・・。
それが今や・・・このホッパー施設の上に!!
反対側からだとこんな感じ。
カフェかい!!
そしてこの駅の周辺もお祭り騒ぎ!!
まぁ炭鉱が閉山し、経済的に疲弊していた地域が観光によって脚光を浴びていくのは、
地域活性化にとって良いことなのだとは頭でわかっています。しかし違和感を感じるのも
正直なところです。まぁ単なる私の好みの問題ではあるわけですが・・・。
ようするに十?も九?もそしてここチントンも「ちょっと懐かしいレトロな街」を
コンセプトにしているわけね。今回雨の中こんな感じで撮ってみました。
ズームを引くとこんな感じ。
やっぱこの柴油車いいなぁ・・・。で2018年の作品はもう一枚。上の写真の小さな赤い看板?
あたりのところで撮ってます。昔の写真に「素食」つまりベジタリアンという食堂の看板
はなかったから、きっと観光地化してからできたんだろうな・・・と想像します。
2018年の我々はこれまた満員電車で瑞芳駅に戻りました。
そこにはこんなよだれが出そうなものが止まっていたりと、まだまだ台湾の鉄道は我々の
ハートをつかんで離しません。
南港駅までは8両編成の電車で帰りました。で、駅前のショッピングセンターには
台湾鉄道のお店?があり、こんな素敵なものも販売されていました。
でもやっぱり1998年の方が素敵。
チントン駅からの帰りは瑞芳の一つ前の駅で降りたようですね。
シュワわわわわと鋳鉄ブレーキを音が聞こえてきそうでしょ?
しかもあなた、途中で機関車交換ですよ。こんなの今あったら日本中のマニアが
殺到するでしょうね。
なんだかとっても懐かしい素敵な景色です。もうこんな客車はここでは走っていないけれど、
なかなかいいところですよ。皆様も是非台湾へ。