桜島から鹿屋へ
三月末だというのに鹿児島の桜の開花宣言はまだ。
しかも雨も降っておりやや肌寒く、観光には最悪。まぁ車なので良しとしましょうか。
桜島フェリーで島に入りましたが雨はまだ強く、雨宿りも兼ねてビジターセンターに行って
見ました。同じことを考える人は多く、あいにくの天気に外国人観光客も多く展示を
見学していました。これは火山灰を入れる袋です。はて、集められた火山灰は
どうするのでしょうね。単に埋め立て処分されてしまうのでしょうか。
続いていったのが土石流監視所?の展示室。あれほどいた観光客もここは皆無。
まぁそうでしょうね、多くの人々は土石流なんか興味ないですよね。
河道をコンクリートで固定し、万全の体制です。画面右には道路があるのですが、
以前の写真と比較すると大幅にかさ上げされており、かりに土石流が流れてきても
橋脚にぶつかることはなさそうです。
さて次は桜島噴火の記念碑です。異変を感じた村人が測候所に問い合わせたところ
「異常なし」と言われたため避難が遅れ犠牲者が出てしまいました。そこで要するに
「やばいと思ったら逃げろ」と言ったことが書いてある碑です。私もこの自分のセンスを信じる
ということは大切だと思っていますので、名古屋ベースを借りていた、ということはこのブログ
の長年の読者であればご存知でしょう。その碑が以下の写真なのですが、なんと小学校の
校庭にあるのですね。「見学の方は職員室まで」とのハードルがありましたので、しかと職員室に
いって許諾をもらい、校庭に車を止めて見学しました。
雨の中、碑を読みましたがまぁ内容は知っていたので確認程度。むしろこの動輪が気になります。
とはいえ、なんの説明板もなく残念。南九州ですからC57かC61でしょうね。ボックス動輪で
直径1750mmでしたから。
さて止むことを期待していた雨は止みそうもありません。桜島の散策は諦めて、航空資料館?の
ある鹿屋に向かいました。で、その途中あまり期待せずに寄ったのが漁協の「みなと食堂」。
あまりこういう写真は撮らないのですが、あまりに美味かったので、最後に届いた私の
「かんぱち炙り」定食を撮ってみました。これで確か900円だったかな。大満足です。
途中にはこんな鳥居があり、正面にはかつての大隈線の廃駅跡があり、後ろには荒平神社がある
とても景色の良いであろう場所。まぁ雨でしたので、景色はイマイチでしたが、神社は岩の上に
あり、そこに至るには若干の鎖場(厳密にはロープ場)があって、なかなか楽しいところでした。
行ったため「おお、二式大艇ではないか!!」と思いましたが、あまりにも雨が強かったので
カメラを出す気にもなれず映像はなし。そしてそして、私は特攻隊の資料というのは鹿屋という
イメージだったのですが、ここ鹿屋のこの資料館にも展示があり、展示も充実していました。
全ての特攻隊員の顔写真があり、どこからいつ飛び立っていったのかもきちんと書かれていました。
もちろん彼らの遺書も展示されていました。もちろん、撮影禁止ですので画像はありません。
で、その資料館の展示の目玉がこの零戦。
触ってよかったのかわかりませんでしたが、ボデイーを触ってみるとまぁペラペラ。
これでは防弾性能が極めて低かったことがよくわかりました。突起をなくしたリベットなど、
知ってはいたが見たことがなかったメカニズムを見られたのはよかったです。
そして上の写真の右に階段があるでしょ?コックピットを見学できるのです。おもいっきり手を
伸ばして撮ったのが、下の一枚です。
これらの計器を理解し、操縦訓練をし、それなのに帰ってくるなという命令を出した特攻命令は
私は到底理解できませんし、なんと残酷な命令なのだろうかと、ここに乗り込んでいった若者
たちの思いを想像すると、なんとも言えない気持ちになりました。私はそのような命令を出した
「空気」というか、時代性というか、それこそが問題であり、だからこそ、せっかく彼ら若者たちの
犠牲の上に獲得したこの平和の時代に、投票に行かないとか政治に関心が無いとかいう輩は
万死に価すると思うのです。
ということで、桜島が雨だったからこの町に来て、思いがけずに特攻隊の遺書を読み、
零戦を見て、いろいろと考えさせられました。