雲仙島原

雲仙普賢岳の噴火は、世の中に「火砕流」という言葉を定着させました。私は火山屋さんなので
その現場に行ってみたい!!と思い続けてようやく訪れることができました。

熊本から島原にはフェリーで渡りました。この季節は船からカモメに餌をあげてよいそうなので、
さっそく船内の売店で「カモメの餌」を買ってみたところ、昔からある某社のスナック菓子
でした。てっきり脂分の少ないカモメの健康に良さそうなのかと思いましたが、がっかり。
とはいえ、カモメへの餌やりは超楽しかったですよ!!慣れてくると次々飛んでくるカモメと
アイコンタクトができて、「お前にやる」と目で訴えると寄ってくるのです。
その瞬間をジュニア撮影のカットでご覧にいれます。

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少しばかりふわふわのお腹に触れたりして、カモメかわいい!!

さて雲仙普賢岳。初めてこの目で見ることができて、船上で感激しました。
しかしなんという急峻な山容なのでしょう。火砕流以前に山体崩壊の方が心配になりました。

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事実手前の眉山は江戸時代に山体崩壊を起こし、麓の村は大変な被害に、でもって
山体が海に流れ込んだもんだから、津波が発生して熊本を襲いました。ですから
島原大変肥後迷惑」というのであります。あっこの模型がわかりやすいかな。

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さて島原外港に近づいてきました。一時間の船旅は快適そのもの。東京に住んでいると
海=外洋なのですが、内海の穏やかな海は最高ですね。瀬戸内海が日本にとっての「地中海」で
あったということを身をもって体験することができました。また、このような穏やかな海だから
こそ、後に訪問する天草で、その地と島原の軍勢が合流するということも容易だったのだと
体験を通じて理解することができました。

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で、これかが眉山。いまだに植物が生えないような急峻な崖が見えますね。そして手前の小島は
そのときの流山です。鳥海山の海沿いにも似た地形がありますが、同じ成因です。
中央線の韮山から日野春にかけてみられる小山も同じ流山です。
はて、松島は?単なるかつての山頂部が海面から出ているの?

さて島原で朝食を食べてから雲仙の山頂に向かいました。今日の予報は昼過ぎから曇り・雨
でしたので、ガスが出る前に山頂部にある雲仙地獄に行ってみたかったのです。
なんと途中で雪が降り出し、ああスタッドレスタイヤでよかった!!と思いました。
しかし九州でスタッドレスタイヤ履いている車なんているのかしら?

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雲仙地獄に着くとすっかり天気は回復しましたが、なかなか寒かったですね。でもそのおかげで
水蒸気がこんなにモクモク。相当硫黄くさいので、この区間は「駐停車禁止」となっています。
もっとも、草津白根にも駐停車禁止の区間がありますが、こっちは「やばいガスが出てるから」
というものなので、雲仙の方がまぁ一安心であります。

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なかなかすごいところでしたよ。すっかり気に入りました。この展望所には左の旅館の
支配人もいらして少しお話。なんとこのガスのためか、五年でテレビを4台買い換えたとの
ことでした。たまにくる観光客は良いでしょうが、なかなか毎日となると大変ですね。
外壁等建物の痛みもやはり早いそうです。今度は泊まりますね、支配人!!

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ではいよいよ普賢岳火砕流と土石流を見に行きましょう。これが砂防施設です。
テキストで解説する気力が尽きてきましたので、火砕流や土石流は各自でお調べください。
とにかくすごい砂防施設で、右に見える緑色の岩石ガード?なんかすごい大きさです。
そして左にそそり立つように見える雲仙普賢岳。ここから火砕流が流れてきたら
怖いですよね。そして火砕流本体ではない熱風が襲ったのが、下の学校。避難待機に
指定されていたので、犠牲者は出ませんでした。(だから保存できたという面もあります)

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おそらく多くの観光客は「ひどいなぁ・・・」と思うのでしょうが、いろんなところを見て
きたので「へぇこんなものか」というのが正直な感想でした。だって溶岩に飲み込まれた
三宅島の阿古中学校の熱で飴のように曲がった体育館の骨組みとか、津波で徹底的に破壊された
気仙沼の向洋高校や多くの児童が犠牲になった大川小学校の校舎はね・・・。

でもこの噴火災害を展示している博物館のこの展示は、ものすごい不気味さを感じました。
この時自衛隊員が現地に入ったのですが、火砕流の後ですからこのような耐熱服じゃないと
隊員が危ないわけです。しかもいつまた火砕流が発生するかわからない状態でしたから、
私は二次災害の危険性を感じ、まさに命がけの救助だと思ったものでした。

また、これはその時以外にニュース映像として出ていないと思うのですが、確か消防隊員の
足元を比較的低音の火砕流が流れ、靴のゴムが溶けて皮膚とくっつき、救護所で痛い痛い
と言っていた映像を鮮明に覚えています。

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新しいものが堆積したならば、侵食され、川によって流され、やがて低いところに堆積するのが
自然の摂理。河口付近の低地は農地に最適ですから、そこが無人であるはずもなく、
下のように土石流が家々を飲み込んでいきました。なんとも無残です。
が、あえてそれを残しておいたことが「観光」につながっているという面もあろうかと思います。

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さてそろそろ帰りの船も気にしなければなりませんね。その前に島原のお城も見たかったのですが、
時間切れ、武家屋敷を歩いてきました。九州の武家屋敷はなんと美しいのでしょうか。
また、このような景観を守ってきた地域の人々にも敬意を払いたいですね。

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いやぁ実に美しいですね。すっかり九州の武家屋敷の魅力の虜になった私は、この後入来、
知覧の武家屋敷をこの旅行中に見学することとしました。ちなみに秋月は
また次回に行くことにしました。