益城町へ

ここのところ毎日ブログをアップしています。
つまり飲み歩いていないということ。なんと健康的なのでしょう。

さて島原の翌日は益城町に向かいました。実は昨年のこの頃に熊本に泊まっており、
その後約二週間後に地震が発生しとても驚きました。
この日は一旦東京での用事のため帰京するジュニアを熊本空港まで送って、その後
益城町に入りました。川沿いの低地に降りる坂道からはブルーシートが未だに載っている
家屋が目立ちました。また、不自然な更地もあり、そこはきっと家屋が全壊してしまった
跡だろうと、容易に推測ができました。下の写真の亀裂も、断言はできませんが
きっと地震動によるものでしょう。

川が流れていることからもここは低地だとわかります。つまり地盤は弱いんです。
その低地の部分に断層が走り、しかも二日間に二度も震度7が襲うという未曾有の
揺れであったわけです。

イメージ 1

お寺の鐘を支える建物も倒壊してしまったようです。

イメージ 2

断層がどこなのか、特に案内表示もありませんでしたので見つけるのに苦労しましたが、
下のようなトレンチ調査をやっているところがあったので、これは断層の調査に違いないと
思い付近を眺めてみると・・・(正確に言うと上の写真と下の写真の位置はかなり離れています。)

イメージ 3

ありました。横ずれ断層です。

イメージ 4

もともと真っ直ぐだった白線が左方向にずれています。やや見にくいですが、右にある側溝も
ずれているのがわかると思います。同じ場所を反対側から写したのが以下の写真です。
単に横にずれただけではなく、断層を境に一方が少し隆起しているのがわかります。

イメージ 5

そんな中、全壊の建物がまだそのまま残されているのに気付きました。逡巡したものの
思い切って車を止め、シャッターを押しました。仕事柄、記録という意味もあろうと
思ったからです。とはいえ、なんとなく後ろめたい気持ちがしたのも事実です。

イメージ 6

背景に新しい家があります。これまた断定はできませんが、きっと地震の前からあったの
ではないかと推察できます。阪神淡路大震災後にも同じ感想を抱きましたが、やはり
新しい基準で作られた建物は強い、ということです。このように全壊してしまった建物が
あるのも事実ですが、被災地を歩いてみると、新しい建物は震度7の揺れに対しても
倒壊していないものの方が圧倒的に多いということに気付かされます。

その点救いがなかったのが津波の被災地です。一面何もないという状態になっていました。

下の写真は電柱が傾いているのがお分かりいただけるでしょう。
電柱の下には用水路が流れてるのですが、その側壁のコンクリートは現在でも
ずれたままになっており、復興は途上であると端的に理解することができました。

イメージ 7

コメント欄でTonさんも言っていますか、被災地の撮影というのは気を使うものですね。

で、この跡は天草に向かいました。その途中高速道路を通ったのですが、活断層付近は路面が
少しになったものの、波打っていて、そのための修復工事が行われていて、片側一車線と
なっていました。