洪水の爪痕
正月休みを利用して茨城に行ってきました。
そしてこの機会を利用して昨9月の鬼怒川の破堤現場を見てきました。
あっこの建物はテレビの映像で見ましたね。周囲の瓦礫は大方撤去され、
農地回復作業が進められていました。手前の地面はすでに整地されていますね。
上の写真の立ち位置から鬼怒川の堤防の方向を見ると、被災した住宅がみられます。
テレビで見たあの濁流は、まるで津波のようだとも感じました。私が立っている
あたりは濁流が流れたところ、そしてその激しい濁流によって土台ごと傾いてしまった
家が見えます。一方右端の家は、浸水したものの外見から見る限り無傷です。
もっとも床上浸水はしているでしょうから、生活の復旧までは相当大変だったと思います。
さて私は道路から写真を撮っていたのですが、こんな人もいるのですね。非常識なおばさんを
ネット上にさらしておきます。なんならピクセル等倍で人相がわかる画像も可能ですけどね。
こういう輩は唾棄すべき存在ですね。大きな声で「泥棒がいるぞ!!」と叫べばよかったかな?
この地域での浸水高さを端的に知れたのはこのコイン精米所です。
床下には泥が溜まっていますね。
ちょっと離れた場所ですが、洪水に覆われた場所はこんな感じで砂浜のような砂で
覆われています。私は洪水流が穏やかになった時に、上流から運ばれた土砂が堆積して
できたものだと思っていました。
しかしこの地で出会った現地の方(鬼怒川の対岸にお住まいの方)は、「この地はこんな砂地
だから稲作に最適な地で、ここのお米は美味しかったんだ。」とおっしゃっていました。
私は、この画面に映っている土砂は洪水で運ばれたものだと確信していますが、
果たしてこの地は砂地なのでしょうか?そして砂地が稲作に良いとは聞いたことが
ないのですが、どうなのでしょうか。この辺りきちんと検証したいところです。
お米が美味しい場所だというのは事実だと思うのですが・・・。
また、その方は「この辺りの鬼怒川は河道をまっすぐにしたのだが、この洪水流は昔の流路を
流れたので、『河が先祖返りした』というお年寄りもいる」とのことでした。
洪水時に河川が昔の流路にそって流れるという話は、カスリン台風時の栗橋付近でも
そうだったと聞いたことがあります。
とはいえ、堤防を見るとこんな大きくで頑丈そうなものが崩れるとはとても想像できません。
国土地理院の昔の空中写真は戦後のものしかないため、この地域に昔の河道が
あったのかは確認できませんでしたが、是非とも旧版地形図で検証してみたいですね。
さてこの地域は水田が広がっていましたが、そこは泥で覆われていたその中には濁流で
流された車が放置されていました。
奥の住宅も床上浸水でしょうから、大変だったことでしょう。
そしてなんだかなぁ・・・という気持ちになったのがこの看板。
福島の避難地域や津波の被災地では泥棒がたくさん出たということですが、
ここぞとばかりにこのようなところにゴミを捨てる人がいるのですね。
たまたまこの日の夜に「石田さんチ」の番組をやっていました。
停電してしまった中、水が建物の中に入ってくるシーンはとても怖かったです。
今回、堤防の破堤の恐ろしさがとてもよくわかりました。