信楽へ

近江鉄道も無事完乗を果たし、貴生川に着きました。
せっかくですから信楽高原鉄道に乗ってみることにします。

接続はよく、十分のしないうちに新型車両が入ってきました。

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ロングシートが玉にギズですが、片道30分もかからない短な路線ですから、
仕方がないのかもしれませんね。試験中ということで高校生もそこそこ乗っていたので、
運転台横の展望スペースで外を眺めることにしました。

私がこの線に乗ったのはきっと30年前の国鉄信楽線時代だと思います。
あまり記憶がないのですが、きっと山口線の車内で知り合った京都の高校の先生の
お宅に居候している時に行ったか、その途中で乗ったのだろうと思います。

津和野からのボックスシートで瓶ビールを飲む初老の男に「兄さんもどうだい」
と勧められて飲んだのがそもそものきっかけで知り合いました。当時は世間知らずで
遠慮なんて言葉を知らなかったので、確か浪人脱出後の春休みに一週間くらい
居候したのではなかったかなぁ?きっと手土産なんかも持って行っていないと思います。
まったく図々しいやら・・・。でもそんな遠慮のなさがあったからこそ
貴重な体験ができました。

さてその後、この信楽高原鉄道は重大な事故を引き起こします。確か信号所で交換する
はずが、信号は青だったためJRからの乗り入れ車両は出発し、反対側から来た列車と
正面衝突したという事故です。あっこれがその信号所か・・・。

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ずっと33/1000の急勾配を登ってきてここにつきます。当時「交換する予定の列車が
反対側に入線していないんだから、JRの乗り入れ車は停止して待つべきだった」との
暴論を聞き、腹が立ちました。今は使用されていないため信号はありませんが、ここで
信号所の出発信号が青だったら当然「進行」です。

ここが事故現場かな?というところもありましたが、シャッターを押すのははばかられました。

終点の信楽ではすぐの折り返し、駅前にはこんな狸が・・・

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そして駅の待合室には、こんなコーナーも。遺族の希望なのだそうです。

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さて新型気動車は勾配を軽やかに下ります。第三セクターなので公的資金も入っているため
軌道が実によく素晴らしい乗り心地。一方先ほど待て乗っていた近江鉄道は民間企業ですから
軌道は最悪で揺れるのなんの・・・。なんだか不公平だなと思っているうちに貴生川。

草津線ボックスシートに座ったら、すぐに寝てしまいあっという間に草津
寝ぼけ眼で跨線橋の階段を上っていくと「あっ草津って天井川のあるところだ!!」と
気づきました。改札を出て観光案内所で的確な情報をいただき、見に行くとまずはこんな感じ。

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電車が潜っているのが天井川になっている草津川の川底をくり抜いたトンネル。
おもしいですよね。では川を見に行ってみましょう。

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もう廃河川になっているとは聞いたことがありましたが、本当でしたね。遊歩道化する工事が
進められていました。でもこの凹地、道路にも見えますよね? ではこの角度はいかが?

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この画面右の下に東海道本線が走っているのです。不思議なところですよね。
川が流れていた時に来るべきでしたね。残念。

観光案内所では、東海道中山道の分岐点がここの近くだち教わりました。
早速行ってみましょう。右の常夜灯の石碑には右東海道、左中山道といった
内容が書かれていました。今でいえば小牧ジャンクションといった感じですかね。
もうお分かりかとは思いますが、このトンネル上が先ほどの草津川です。


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さて京都に向かいます。今日のチケットには京阪電車一日乗り放題切符が付いてくる
ので、それを求めて東福寺駅へ。するとこんな光景が・・・。とても2015年の光景とは
思えません。1970年代中頃の田端、西日暮里あたりでみられた光景です。
まぁもっとも相当改造されとはいますけれどね。でもこの色の並びは感激でした。

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この後京阪電車に乗って大阪に向かいました。
つづく。