気仙沼 その1

この週末は地理屋さんたちとの巡検三陸に行ってきました。
被災地で衝撃的な光景を数々目にしてきましたので、ここで披露しようと思います。

東京駅を朝7時台に出れば一ノ関は9時半過ぎ。レンタカーを借りて流れに乗って
運転して行けば11時半には気仙沼の港に着くことが出来ました。
さて、大震災から3年半。港はどうっているのか?まだ復興という言葉をまったく
感じられない更地が広がる中、漁港の近くには観光客用の施設や博物館などが
整備されていました。そして港には漁船のたくましい姿が!!

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もう昼頃でしたので、市場は閑散。秋鮭漁を終えた漁船がおいしそうな鮭を水揚げしていました。

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ここたけみると震災の爪痕を感じることが出来ません。でも魚市場の建物には
「浸水高」を示す看板が掲げられていました。もっともこの写真は看板メインではなく、
セブンイレブンの移動販売車に興味の力点があったのです。これ、うちの職場の
イベント時に呼びたいな・・・とも感じた次第。

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しかしこの魚市場はコンビニ砂漠地帯ではなく、近くにはローソンもあります。
防風室?というのでしょうか?雪や寒い外気が直接店内に入らないような工夫が
されていました。

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さてここで現地で小学校の先生をされているS先生と合流しました。先生は、
案内のお願いが直前だったにもかかわらず大変素晴しいコースをご案内いただき、
我々一行は大感激でありました。

まずは境内まで津波が迫りながらも、多くの人々の命を救った早馬(はやま)神社を
訪問し、神主さんから震災時のお話しを伺いました。職場で震災の体験者から話を
聞いたことはありましたが、現地では初めてです。

神社の境内には津波が来た高さを示す石碑がありましたが、えっ?ここまで?という
のが正直な感想でした。10mとか数値で知ると「ヘぇ~」という感じで終わることが
多いですが、現地でこの高さと示されるとその意味の恐ろしさがよく分かります。

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なお、後ろの低地には震災前まではちゃんと集落があったのですが、何もなくなっています。
お社の右の柱にも浸水高を示す表記があるのがわかると思います。神主さんは個々では
危ないと感じ、裏山に登ったそうです。

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続いて唐桑地区に行ってきました。その展望台からの光景がこれ。
復興というと商店街だったり、仮設住宅の人々の話であったり、そういったものを
私は見てきましたが、なんですかこれは!!

ここからS先生のご尽力で市議会議員のI氏に解説・案内をしていただきました。
えっ盛り土をして、そこの上に町を作るのですか?ってことは完成は・・・?
そんな、震災から5年以上経って町を作っても、そこに住んでいた人たちは戻って
くるんですか?
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I議員に往時の町の写真を持ってもらい、一枚・・・。

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失礼ないい方だけれど、町が全部なくなっている・・・。津波を防ぐのには確かに
盛土は有効だ。でも、なになに?全額復興予算で工事ができる?今資材が高騰している
けど、その分だけちゃんと補填される?あれあれ、さっきまでお気の毒に・・・と
思っていたけれど、なんだか悪しき公共事業の臭いがして来たぞ!!

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このように盛土をして、少し沈下して落ち着いてから新しい町を作るということですが・・・。
う~んスーパー堤防は頓挫したと思いきや、こんなところで似たようなものが作られている
とは・・・。この反対を向くと大船渡線の線路があった場所です。ただいまBRTに向けての
工事中。河川の堤防をかさ上げしたおかげで、鉄道橋も高くする必要がある。そうなると
そこまで登る勾配を作り替えなければならず・・・だったらバスの方が・・・という
事情もあるとのこと。この二日後私は実際にBRTに乗車してきましたが、鉄道マニア
ですがバスで十分との感触を得ました。

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ここはこんな感じで山に近いところは人家が残っています。
しかしこの翌日、我々一行は陸前高田に行くのですが、そこにはもっと衝撃的な光景が
広がっていたのでありました。  気仙沼 その2 につづく