黒部ダム

今年の夏の旅行は富山でした。
なぜ富山かって?たまたま安いホテルが二日間空いていたということにつきます。

さて久しぶりに3割引と割引率が低くなってしまったとはいえ、高速の深夜割引を
利用すべく午前三時前に自宅を出るとなんと信濃大町付近に午前6時頃到着(笑)。
扇沢駅からのトロリーバスの始発は7時半ですので、大糸線を撮って時間をつぶします。

また縦構図だけれど、今日はちゃんと反映されるのかな?
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やっぱりダメなようです。例の有名撮影地ですが、後ろの山は霞んでしまっています。

さて早朝でしたので無料駐車場にもなんとか駐車でき、黒部ダムまでトロリーバス
往復しました。35年前にも乗っていますが、ほとんど記憶がありません。
このバスは平成生まれのVVVF制御の「電車」。これ形はバスなんですけれど、
法規上の分類は「電車」ですので、マニアとしては乗らなければなりません。

私が黒部のことを知ったのはいつだったのかな?
黒部にダムを建設するのが大変だったということは小学生の頃から知っていた気がするけれど、
では具体的にどこがどう困難だったのか?という所は少年ジャンプ誌の「破砕帯を抜け」
というマンガが最初だったんじゃないかな?それで映画「黒部の太陽」を知りつつも
スクリーンでは見ることが叶わず、去年リバイバル上映でようやく初めて見てきました。
若い方は「プロシェクトX」で初めて知った方も多いのでは?

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さて階段を上って展望台に登るとこんな感じでダムが見えてきます。

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まだ8時前ですので、堰堤の上に人がほとんどいません。そして昔はやっていなかった
放水を観光のためにしていて、美しいことこの上ない!!

この後はダム湖沿いの遊歩道でダム見晴しポイントまで歩いていきました。
予想通り、奥に行くとすれ違う人は皆無でした。

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散策を終了し、ダムサイトの慰霊碑に寄りました。

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マンガ「破砕帯を抜け」の中にも確かこんなシーンがあった気がします。
親方 「いいか、黒部に怪我はないぞ」
作業員「なんだ、黒部は怖いところだって聞いていたけど、怪我がないんだ。」
親方 「馬鹿者!!黒部では他の現場では怪我で済むような事故でも死んでしまうということだ!!」
作業員「・・・!!」
そんな厳しい作業環境ですから、多くの犠牲者が出ているのです。

そんな慰霊碑の前で極めて不快な光景を目にしたのです。
関西電力の見学者票?をぶら下げた身なりの良い数名の大人たちがソフトクリームを
なめながらこの慰霊碑を見ていたのです。私はこのような振る舞いは不適切だと感じました。
その集団に聞こえよがしに、私は子どもたちに「慰霊碑の前でアイスを食べるような
大人になっては行けないぞ」と諭しました。

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扇沢駅に戻ると、車庫にはこんな厳つい車両が。架線のメンテナンスの車両かな?
この後は11時から営業していると書かれていたそば屋が11半でも「準備中」との
看板が出ていたので、きっとやる気のないそば屋につがいないと判断し、
結局ほっともっとの弁当を食べて大糸線非電化区間に向いました。