五新一号
南紀を抜けたので名前を変えました。
紀伊勝浦では偶然入ったお店がまぐろの良いお店で、解体ショーも見られて大満足。
渡船で着いた巨大旅館はまさに「帰るのを忘れちゃう」ほど。浴槽につかりながら
波が打ち寄せるのを見る事ができて、実に楽しいホテルでした。
まぁ朝食の質とその会場は・・・という感じですけれどね。支払った料金が
お安いものですから妥当なところでしょう。
さて、そのホテルをチェックアウトする頃まで発達した低気圧が接近していたため
風雨が強く、今夜の宿がある奈良まではおとなしく亀山経由で行こうかな・・・
とも考えましたが、やはり好奇心の方が強く、降りしきる雨の中、十津川村を目指しました。
ここ十津川は1889(M22)年の洪水・土砂災害で甚大な被害を受け、
移住したところなのです。この事を知ってからいつかは行ってみたいと
思っていました。
あるとの事で、雨も降っているし不安だなぁ・・・という感じで車を進めましたが、
和歌山県側はあまりそうでもないかな、という感じでした。
この川の大きさと山の斜面にへばりつくような集落はどうだろう。
大変失礼ながら「限界集落」という言葉が頭をよぎりました。
さて、上の写真でも見えるように、国道の一部区間は高速道路のように高規格化
写真はありません。そんな中私の目を引いたのは三年前2011年の集中豪雨の爪痕でした。
以前お見せした那智のあたりの被害と同じ時のものです。写真だとどうしても奥行きとか、
大きさを実感させる事ができないのですが、スゴいスケールの災害でした。
中でもここは高規格バイパスから見えた光景です。上高地の手前にも旧道が土砂に
埋まっている区間がありますが、こっちのほうがスケールが違います。ここには
重機が写っているので、スケールが分かると思います。
上の写真をひいて撮るとこんな感じ。斜面がごそっとスライドとしていることが
わかるでしょう。どうやって復旧工事をすればよいのか途方に暮れてしまいます。
奈良県に近づくと、センターラインがなくなり、対向車とのすれ違いにやや難儀する
「酷道」はありましたが、すれ違えるので、以前経験した418号線に比べれば
たいしたことはないですね!!
一部区間は路盤やトンネルなども完成したのですが、完成した頃には
列車が走るはずだった路盤の一部は当時の国鉄バスの専用道路となり、
現在もバス専用道として使われているのです。その橋が以下の橋です。
おやっ左に路線バスが・・・
おお、日本一長い路線バスの新宮行きではありませんか!!
で、そのバス専用道と一般道の交差点は以下のような感じ。昔は遮断機があったようですね。
ここを1日数本バスが来るのですが、もはやそのバス路線を維持するのが・・・
という感じのところでしたので、廃止されてしまうのも・・・という印象を受けました。
五條方面はこんな感じ。このカーブのゆるやかさが、鉄道っぽい雰囲気ですよね。
この線は未乗なので、ここは初めて。確かに勾配での起動性能が高い電車に
なったのだから、運転も煩雑で、ポイントのメンテナンスなどを考えると
スイッチバックは確かに廃止されても仕方ないのかもしれません。
で奈良の宿に入りました。十津川村を抜けて行ったので奈良がとてつもない都会に
思えました。