流麗な東山線 その1
年末の仕事を一気呵成に仕上げ、ベースに行って参りました。
チェーン規制・・・。なものですから新東名に転進。途中のPAで行き先を考え、
「竹島」に上陸する事にしました。もちろん我が国固有の領土である愛知県の
さて翌日も予報では東海地方は雪が・・・との事でしたので、ジュニアと
土日エコキップで名古屋市営交通の旅をしてきました。
という行程でした。
本当は「模型製作所」などの訪問も考えていたのですが、関ヶ原を越えてきた
ちぎれちぎれの雪雲が名古屋にやってきたため雪でしたので乗りつぶしをメインに。
ここでは雪雲の下に入ると雪、抜けると曇という感じで、南岸低気圧により雪が
降り続く、という関東の降り方とは違っていてとても興味深かったです。
さと終点の藤が丘です。画面には映っていませんが、バラバラと雪が降っています。
藤が丘からは昭和57年製(だったかな?)のこの電車で次の本郷まで行きました。
車内の写真は撮らなかったのですが、網棚が戸袋付近にしかない特徴的な内装の電車でした。
本郷ではバスが車で駅周辺を散策、東山線の高架橋脚の形がおもしろく一枚撮ってみました。
ありましたが、この高架線以外にほとんど人工物はなく、よくもまぁこれだけ開発が
進んだものよ、と感心。
恥ずかしながら名古屋市電に連接車が存在していたという事を知りませんでした。
また、この電車は戦時中、名古屋に軍需工場が集中し、その工員輸送が逼迫していたため
特別な許可を得て車両を新造したとの解説がありました。なるほど。
この写真を撮っていた時には気づかなかったのですが、排障器がないのですね。
連接部分には丸いマンホール状の鉄板があるのですね。戦時中ですから床が木なのは
驚きませんでしたが、照明器具はこれ、蛍光灯なのでしょうか?
職員の方に聞きそびれてしまってわからないのです。
(今検索したら管型電球とのこと、といってもよく分かりません・・・)
さて次の電車です。いいですねぇ。と眺めていたら、あれ?軌間が1372mmにしては狭い?
と見てみると1067mmとJRと同じ。へぇ・・・知らなかった。
そんな風に線路を眺めていたら、台車の前に救助網らしいものを発見!!
下の写真でも車体下に見えるはずです。
接近してフラッシュを焚いて写してみました。
これは排障器というより、N電とかに付いていた救助網ですよね?
都電の前面は排障器のみで、このような装置は無かったと思います。もっとも都電の
足回りをじっくり覗き込んだ事がないので何ともいえませんが・・・。
さきほど紹介した連接車にも同様の装置がありました。(写真は割愛)
では他の車両は?と思い、もう1両の車両を見に行くと・・・
これは排障器というより、スカートですね。騒音防止を目指した電車ということですから
スカートで音を小さくしたということなのでしょう。しかし先ほどのものが救助網である
ならば、それをこの電車でなくしてしまったという事は、さほど効果がなかったというのと
なのかしら?とか、いろいろ考えてしまいました。
また気力が湧いてきた時にアップ致します。