三毛ジャガー氏のご質問への回答

三毛ジャガー氏より、飯田線の秘境区間についてのコメントをいただきました。
今日はそれにお答えする為の記事であります。

天竜川の中流域(私の感覚で言うと天竜峡から中部天竜まで)は、河川はものすごく
蛇行しているにもかかわらず、地形は極めて急峻です。これはザックリ言ってしまえば
かつて低平だったら土地(だから河川が蛇行していたわけ)が、後の造山運動によって
隆起してできたわけなんですね。大地が隆起するスピードは極めて緩慢ですから、
河川は蛇行している流路を変えず、蛇行した形のまま下方浸食を続ける訳です。

しかも大断層・中央構造線の近くですから、このあたりは、それはまぁ大変なところ。
支流が天竜川に合流する際普通はY字になるべきところ、T字のようになっている箇所も
たくさんあるのがその証拠。大地が「おしくらまんじゅう」状態なのですね。

そこに線路を敷く作業は、その測量からして困難です。そこで測量のプロとして
雇われたのがアイヌ人の川村カ子ト(かわむら かねと)でした。

私の勤務先にこの付近の阿南村ご出身方がいらっしゃり、私が飯田線が好きだというと
この話をしてくださったのです。そして現地の新聞記事の切り抜きを持ってきてくださり、
彼の生涯を題材とした合唱劇があるということを教えて下さいました。
合唱劇「カネト」のサイトは以下のとおりです。川村カ子トの生涯を紹介している
ページにリンクしています。

ですから、この区間飯田線は地域住民の足という意味もありましょうが、
それよりも、道路もあまり整備されていなかった時代に、南信の中心都市飯田と
東海道豊橋を結ぶという意味の方が強かったのだろうと想像します。
その測量と工事に携わっていたのがアイヌ人。

どうです三毛ジャガー氏。おもしろいでしょ?