春川から原州へ
ひと月遅れの韓国報告の続きです。
冬ソナのロケ地として有名な春川では趙先生の御宅を訪問する事が出来ました。
我々のホテルからは先生のレクサスに乗って移動しました。こんなに長時間
レクサスに乗るのは初めてでしたが、いやぁ、サスがしなやかでしたね。
まずは春川のダムを見に行きました。そこからの景色はこんな感じできれいでした。
地体構造こそ違うものの、気候は日本とほぼ同じですので、景色は日本と同じ。
緑も豊かで美しい場所でした。場所も素晴しかったのですが、車中日本語の先生である
趙先生との会話が楽しく、いろいろと質問させていただきました。
住んでいるところを基準に高校が決まるので、良い高校に入りたくてソウル市内に
暮らす人も多く、旦那はソウルから春川に通勤している人もいる事。
語学を身につけるため母子で海外留学し、父親だけが韓国に残るケースもあること。
このダムの水はソウル市民の水瓶の為、春川にはあまり恩恵がない事。
そのため振興策を陳情しているが、大統領とかは中央部の出身のため江原道は
政治的に弱い事。徴兵で入隊した息子の服が軍から送り返されて来るが、それを見た
母親は必ず涙する事。登山がブームで、春川には良い山がたくさんある事。
などなど・・・
それから屋外の焼肉屋に行ってさんざん飲んで食べて・・・。
テーブルの上にはビール瓶の他に焼酎の緑色の瓶があると思いますが、先日ソウルの
繁華街で焼酎をビールで割って飲んでいる人の話をしたところ、「それは爆弾というのです」
ということで、本場の爆弾をつくりましょうという事になりまして・・・。
先生もたくさん飲みましたので、運転代行で先生のマンションへ。
エレベーターの1つの階に二つの世帯しかない高級マンションでした。
床面積も広く、調度品も・・・という豪華な御宅でありました。
こんな酔っぱらった我々にも奥様はいろいろとお気遣い下さり、恐縮・・・。
にも関わらず酔っていた私はキムチ専用冷蔵庫を見せてくれとお願いし、
撮ったのが以下のもの。中で熟成も出来るようで、キムチはやはり買うものではなく
つくるものだ、とのことでした。
この中には水キムチがあり、遠慮のない私は「食べたい食べたい!!」とお願いし
いただきながらビールという全く遠慮のないただの酔っぱらい・・・趙先生すみませんでした。
この後は奥様のアコードでホテルまで送っていただきました。いずれも日本車なんですね?
と聞くと、昔は公務員が「外車に乗るなんて愛国精神が・・・」と言われたらしいですが、
今はそうではありませんよ、との事でした。
その翌々日は原州の女子高校を見学しました。
近代的ですよね。新築したばかりだそうです。コレだけ見ると理想的なのですが、いやはや。
韓国の大学受験が厳しいとは聞いていましたが、凄いところでした。昼休みが70分と長いものの、
授業は午後4時50分まであり、強制ではないものの1年生は午後9時まで、2,3年生は午後10時
まで自習室を開放しているようで、半数以上の生徒が残って自習しているようです。
3年生の中にはそのあと塾に行くものもいるらしく、まさに唖然という状況でした。
そしてこれはこの学校だけの特殊事情ではなく、進学校なら普通の事らしいです。
生徒を早く帰すと「何やってんだ!!もっと面倒を見ろ!!」といったクレームが来るとの事。
後に職員との懇願会の席上で「10時までというのは異常ではないか?」と質問したところ
微妙な空気が・・・察するにそんなことはわかっているのだが、管理職に強制されている、
あるいはみんなこうやっているから、仕方なく・・・という表情をしていました。
下の写真は入口にあったこの学校のマスコット?ゆるキャラ?
私はここで日本の紹介、というか普通のおじさんの1日と東京の高校生の1日を紹介しました。
授業は進学校でも三時過ぎに終わるんだよ、と言うと「マジ~!!」「うっそー!!」といった
反応をしていました。
最上階には食堂があり、我々も生徒達と同じメニューを食べました。おいしかったですよ。
メニューはこんな感じ。(これは生徒のもの、私はもっと大盛りにしてもらいました・笑)
配膳はどの学校も同じような感じですね。プライバシーの問題があるのであまり
お見せできないのが残念ですが、食事は楽しくとっていましたよ。これは万国共通。
以下は自転車置き場と隣地で建設が進むマンション。日本とは建築方法が異なりますね。
典型的な詰め込み教育で、確かにこんなに勉強すれば出来るようになる者も増えるでしょうが、
脱落したら這い上がれないよなぁ・・・そんな子供達はどうなってしまうのかなぁ・・・とか
いろいろ考えさせられました。
次回の仁川の報告で最後となります。