網走へ

函館到着時に私は先頭のDD、ジュニアは最後尾のEDを撮りに行きました。
そのジュニアの作品。ED79シングルアームパンタになっていたんですね。
ちょっと違和感が・・・。
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長万部付近で食堂車で朝食をとり、札幌まではロイヤルでのんびりと過ごしました。
札幌に到着後はDD51の前で記念写真を撮った後、親父は自由席の列に並び、
北斗星の回送列車出発の撮影はジュニアに任せました。コンデジの撮影ですけど
こんな感じ。やはり客車列車はいいですねぇ・・・。

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札幌からはスーパーおおぞらで釧路に向かしました。日曜日の昼頃でしたが、
ほぼ座席が埋まるそこそこの乗車率でした。石勝線や根室本線に乗るのは、
実に四半世紀ぶりで、その時は基本昼間は撮影だったため、石勝線は「まりも」
で通るだけ(だったような・・・)でしたので景色をゆっくり眺めるのは事実上初めて。
人家がみられない山間部の信号所をいくつも通過するのは、まさに日本離れした光景です。

防風柵ができてしまっていた狩勝峠、撮影した鉄橋、そして行ったことがなく憧れの
音別~尺別などの車窓を楽しみ、あっという間に釧路に着きました。でも街を散策する事も
なく、良い席を確保するためすぐさま階段をわたって釧網本線のホームへ。

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湿原が見える進行方向左側の座席は確保できなかったものの、右側をゲット。「まりも」明けの
ヘロヘロの体で撮影した細岡や塘路などを通過し、やがて摩周へ。釧路から標茶までは
標津線の撮影時にも乗っているのでおおよその景色は覚えているのですが、峠越えの区間
夜行「大雪」明けで乗ったので、あまり覚えていません。車窓には湿原が広がり
「寒冷地だから湿原を水田に転用できなかったんだなぁ・・・暖かな地方だったら
湿原は開発された水田になっていただろうな」「牧場が多いな。そういえば昔パイロット
ファームなどと教わったな。」などなど考えているうちに摩周に到着。列車はここで交換します。

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峠を越えて、斜里、そして午後7時頃に網走に到着しました。日の長いこの時期を狙った
かいあって、終点まで外の景色を楽しむ事が出来ました。

そうそうジュニアにとっては、この二重窓が初体験。本当は床が木のキハ22が
ベストですが、まどの開かない列車が増えた現在、二重窓時代が貴重ですよね。
この海はオホーツク海。遠くまできたものです。女満別まで羽田から飛んでくれば
あっという間に着くのでしょうが、こうやって距離を実感できる旅は贅沢です。

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6月の上旬でしたが、網走駅の気温は8度。風がないのでなんとか耐えられました。
しかし午後7時なのに駅前は既に閑散とし、駅周辺だけかもしれませんが、
街に活気がないなぁ・・・と感じてしまいました。

つづく。