生まれた所に

本来ならば今日から出張の予定だったのですが、当初怪我は桜の咲く頃まで回復は・・・
との見通しでしたので、代わりの方に行っていただく事になりました。
なわけで、今日は休暇(代わりの方に申し訳ない!!)。当初は始発でミニエコー?とも
考えましたが起きられず、ある機関車の回送を追いかけてみる事にしました。

その途中の立川駅南武線ホームで電車を待っていると、聞き覚えのある
ルーバー音が!!さっき国立駅の端にファンがいたのはこれだったのか!!

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右端に茶色のEF64写っているのがおわかりいただけるはずです。ああ無念。
気を取り直し花粉症の薬のせいで猛烈な眠気に襲われあっという間に府中本町。

平日の午前中だし、たいした事ないかな?と高をくくっていたら大間違い。
武蔵野線のホームにはたくさんのファンが!!まぁ今日はぶら下がって回送されて
くる機関車がメインだから、いわゆる「ケツ狙い」の構図でいいので、
ファンであふれる端と反対側の北府中側の端に行きましたが、ここにも
多数のファンが。皆さん熱心です(私もですが・・・)。

しばらくするとDE10に引かれてお目当ての列車が。

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そして本命のアングルである「ケツ狙い」。

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順光のなか、私の世代にとってのブルートレイン牽引機が二度と走る事のない
線路を通過して行きます。終点は次の北府中。本線を走行できるのもあとわずかです。

次に北府中での入換え作業を見に行きました。そしてこの時になってようやく
気づいたのです(遅すぎますけど)。あっ生まれた工場に解体されずに戻ってこられる
535号機ってなんて幸運なんだろう。そしてそれを受け入れてくれる東芝って!!

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JR貨物の機関車が引き受けたEF65を、今度は東芝の所有するディーゼル
ゆっくりと引っ張って行きます。

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このEF65、私が小学生の頃買ったもらった最初のNゲージの機関車です。
このサイドビュー、特急塗装だと美しいですねぇ。

工場内へ続く引き込み線へのポイントが切り替わりました。

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今度は推進で進みます。パンタグラフは上がっていませんが、535が先頭なのです。

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機関車の周囲には東芝の関係者も多く、カメラで撮影されている方もいらっしゃいました。
この機関車がこの工場で製造されたのは1967年3月、私よりちょっぴり先輩です。
もうそのとき製造に携わった方はご退職されているでしょう。でももしかしたら
その時製造に関わった方とか来ているのかな?そうだとしたら、45年間ご苦労様って
ねぎらっているのかな?とか、いろいろと考えました。

廃車になった機関車が解体されず、製造された工場に保存のために鉄路で回送されて
搬入されるって、なんだか暖かい話だなぁ・・・としみじみ思いました。
535号機は幸運な機関車ですね。

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もうすぐ工場の敷地の中に入ります。(厳密に言えばこの線路も東芝の敷地ですけど・・・)

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この機関車の保存を許可したJR貨物と保存を決断した東芝に感謝したいです。
できれば今度東芝府中祭とかやっていただいて、マニアにも公開していただけると・・・。

さて午後の用事までしばらく時間があります。火曜日ですし・・・と行ったのが米タン。
昭島で撮りました。S氏よりお借りしている白いレンズで撮ったものです。
いきなり来たので心の準備ができておらず、画面が斜めになっていますけど、
原型パンタのPFですので、まぁ良しとしましょう。ダイヤ改正後の牽引機が
気になります。

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さてミニエコー。仕事の合間と天気を勘案して出撃できるタイミングは果たしてあるのか?