上越国境

好きな路線はどこですか?
と聞かれると迷わず上越国境と答えています。
ループ線とトンネル内の駅、そして急勾配を越えるための補助機関車が
趣味人を引きつけるのです。

ですからまだ貨物列車が多数走っていた「内地勉強留学」中の1986年9月に、
水上、湯檜曽を訪れました。

当時の鉄道旅行はPC9801E?で動かしていた管理工学研究所のワープロ「松」で作成し、
8インチフロッピーに記録しておいたものですから、今となっては引き出す事が出来ず、
この時の撮影行は分からないのですが、きっと上野発籠原行きの始発で行ったのだと思います。

当時はキャノンFTのシャッターが壊れていまっていたため、FT-bにコダクローム
を入れ、父親の社用のニコン(時効かな?ちゃんと後で返しましたが・・・)には、
曇天用にASA400のトライエックスを入れておりました。

NIKONは会社で使っていたため広角レンズしかついておらず、あとは高校の時に
亀戸在住のS君から、「要らないから」ともらった400mmのレンズしかなかったため、
このような当時としては超望遠の画像しかないのです。

私は超望遠でトンネル越しのアングルを撮ってみたいと考えていたのでしょう、
最初のコマは水上~湯檜曽の大穴トンネルでした。

今だったら、うひょ~原色64の重連!!となるでしょうが、
それよりももっと驚くのは次位のトキ?トム?でしょうか。

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連写機能はなく、マニュアルフォーカスですが、下の作品はわりとピントが合ってますね。
どうやら後ろはトキ+トキ+トキ+トキ+トキ+トキ+トキのようですね。

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あら、先頭の補機は1048号機ですね。今でも原色で頑張っています。

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1048号機は、2012年の9月に清洲駅で撮影しています。
折角ですので白黒にしてみました。ざっと見る限り屋根上にクーラーがつけられたのと
JRマークくらいの変化ですかね?
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さて再び1986年に戻ります。
NIKON用の400mmを活かすべく、湯檜曽に移動しました。そしてまずは本命の64
の前に115系で腕ならし、といっても今のデジカメみたいに、すぐに画像をチェック
できなかったので、この構図ではたして適正露出だったのかは分からず、今以上に
露出に気をつかっていましたね。

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115系もまだ長かった時期ですね。この頃は上越国境を越える場合はパンタの故障を
考えて2ユニット入れるべし、という「御触」が有効だった時期でしたっけ?

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同じ場所でカメラを反対側にむけて撮ったもの。乗降客がいるのにも驚きです。
今、湯檜曽で降りる人なんてあまり多くないだろうな。
調べてみたら平均乗車人数は一日に約20名だそうです。

そして大本命の64の貨物。
来た来た!!と興奮しながら撮ったもの。今となっては次位のタムに感涙ですね。

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そして私が一番気に入っている作品です。後ろのワキ5000にまたまた感涙。

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この時は、あぁもっと早く生まれていれば、このアングルでEF16+EF15を撮れたのになぁ・・・
と思っていたと思いますが、今これを見る若いファンは原色64、しかも白Hゴムの重連の貨物、
しかもワキ5000なんて・・・と思うのでしょうね。

今私のレンズはカメラのセンサーが小さいので、テレ端は事実上460mm。
牽引機はブルーサンダーですが、昼間の貨物がまだあるのなら、26年ぶりに
湯檜曽に行ってみようかな?