かいじ国体お召し

1986年10月14日、つい先日お召し塗装にもどされたEF6477号機牽引の
お召し列車が走りました。この時は今のようにお召し列車の走行が官報に
公表される事もなかったため、情報はきっとK氏からだったはず。
そして浅草橋炎上事件など左翼諸派妨害工作等も予測された時代でしたから
その警備は厳しく、撮影に際しては身分証明証の提示、ならびにカメラである事の
証明のため、シャッターを一回切る必要がありました。フィルム時代でしたので、
このワンショットは今では考えられないほど、痛いものでした。

そんな時代でしたので、私はこのとき中野駅の下り快速ホームの端に陣取って
いたのですが、通過直前に現れた当局によって「ここは撮影禁止だ」と排除され、
泣く泣く阿佐ヶ谷or高円寺で撮影しましたことを今でも恨んでおります。

このときの中野ではこんなものを撮っていたようです。
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当時は下町に住んでいましたから、301系が珍しかったのですね。シャープさに欠ける
正面右窓のJNRマークがあまり好きではありませんでした。右手には緩行線の201系の
姿も確認できます。

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カラーでないので分かりませんが、きっと屋根上のアンテナの形状から山手線からの
103でしょう。だからきっと色はうぐいす色だったハズ。右手の5000系は戸袋窓の
ない増備車ですね。

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当局によって排除されたため、急遽高円寺か阿佐ヶ谷で撮ったのですが、画面左端に信号が
入っているように、良い場所を確保する事が出来ず、こんな作品となってしまいました。
なわけで、今でもこの時の当局の姿勢を恨んでおります。

この後私は原宿の宮廷ホームに向いました。既に両陛下は去った後でしたので、
規制・警備は緩くなっており、ホームの冊によじ登ってこんな写真を撮りました。

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この後鉄道公安官が、警備を無事に終えた達成感と安堵感とともに記念撮影を
しておりました。職務への「誇り」を感じさせるいい写真だと思っております。
この写真、昔からの趣味のお仲間も見てなかったんじゃないかな?

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今この写真を見ていると脳裏に「桐と動輪」が思い浮かんできました。
誇り高き鉄道員という凛々しい姿です。このような人々が多数働く事でお召し列車
定時に運行できるのですね。

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そしていつもは閉まっているゲートから写した宮廷ホーム。

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ちゃんと左側には客車が停まっているでしょ?今となっては貴重な記録となりました。