Battle ship Missouri 2,Aug

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航空博物館の後は戦艦ミズーリです。
横須賀にある日露戦争時の戦艦「三笠」は見学した事がありますが、
何分にも日露戦争は1904年~という古いものですので、第二次世界大戦時の戦艦ではありません。
もっとも第二次大戦時の日本の戦艦は長門を除いてことごとく沈められ、
その長門も米軍に接収され、ビキニあたりの海域で原水爆実験に供され沈みました。
ですから、日本の戦艦は見学したくても「ない」のです。そんなわけで
未だかつて第二次世界大戦時の戦艦は見学した事がありませんでしたので、楽しみでした。
あっそういえば護衛艦「たちかぜ」は横須賀で見学し、士官室でお茶をいただきました。
(その節はマッチョな兄貴にお世話になりました。)

一枚目の写真は戦艦ミズーリの主砲と艦橋。とにかくでかいです。
さて、この戦艦ミズーリ湾岸戦争時にも参戦しているという、限りなく現役に近い戦艦であります。
残念ながら見学時間が少なく、甲板上を見学するだけでしたが、その大きさに驚きました。

歴史に詳しい方は戦艦ミズーリというと、第二次世界大戦後日本が降伏文書に調印した
船としてご存知かもしれません。二枚目と三枚目の写真をご覧ください。
艦上には降伏文書を調印した場所とそのサインが誇らしげに飾ってあり、
日米関係が良好な時代しか知らない私でも、なんだか「敗戦国」の「敗戦国民」として
見下されるような感覚を感じさせる場所でありました。

第一次世界大戦時に戦勝国のフランスはドイツに対して降伏調印文書を何と失礼な事に、
食堂車のテーブルで書かせました。(鉄道マニアでしたらOKだと思いますが・笑)
この屈辱を忘れなかったナチスドイツは、パリ陥落時の降伏文書?を書かせる際、
わざわざこの食堂車を探し出し、そして当時と同じ場所まで持ってこさせ、
そして当時ドイツが座らせられた屈辱の座席にパリ市長(だったかな?)を座らせ、
降伏文書にサインさせました。宣伝上手なヒトラーらしい演出です。
ですから日本も今度勝ったときは(笑)・・・。

四枚目の写真は艦長室の様子です。おそらく湾岸戦争時でしょうから、テレビもブラウン管。
机の上のパソコンはこの距離では確証は持てませんが、かなり初期のマッキントッシュ
あろう事が推察されます。海軍はマック派なのでしょうか?

いよいよ次回は潜水艦の艦内に潜入であります!!