四日市詣・ウヤばかり・・・
この土日に、新東名の走り初めも兼ねて名古屋ベースに行ってきました。
天気予報は曇りでしたが、かえって光線を気にせず撮れるかなと
前向きに考え直し四日市へ。
この列車は改正前は66でしたね。でも64ですからOKです。
1002号機は以前は西浦和でお会いしましたね。
本当は新守山あたりで春日井貨物を撮りたかったのですが、この日は「しなの」の
遅れでダイヤが乱れ、仕方なく春日井にて撮影しました。ここも陽が出ていると
編成がまだらになってしまうので、曇りなのはある意味ラッキーです。
ホームの中程から落ち着いて撮影しました。
四日市市のウェプサイトを見る限り「こにゅうどうレンタサイクル」は
やっていないものと判断し(後で駅に行ったら営業していました・怒)、
なかなか良いところでしたが、運休(ウヤ)・・・。
こんな感じで工業地帯らしい煙突が背景に入って良かったのですが・・・。
こんな具合に草むらでしたから、蚊に血を吸われ損でありました。
まぁ土曜日だから貨物が運休なのは仕方がないですね。
でも、貨物時刻表によれば日曜日のみ運休なんですけどね・・・。
さて、では気を取り直してセメント列車を撮りに行くか!!と可動橋に向かったところ
「あぁ、線路が錆びている・・・」本来ならば今日は既に二本動いている筈ですから、
どうやらセメント列車自体が相当動いていないのだと判断しました。
二度目ですね・・・セメント列車がウヤなのは、ついてない・・・。
それでは土曜日も運転するはずのコンテナ列車を撮ろうと四日市駅に向かいました。
いつもと違うところで撮ったのですが、編成の後ろが写りませんでしたね。残念。
この後四日市構内に塩浜行きの列車か据え付けられているのを確認して、塩浜までの
貨物線でロケハン。いかにも専用線らしい雰囲気のところで以下のように撮りました。
セメント列車が来ないということは、この塩浜行きの貨物が折り返してくるまで
約二時間ゆとりがあります。洋食屋でカツカレーを食べ、その後冷やかし気分で
公害資料室に行ってきました。四日市ぜんそくは有名ですので、まぁ新事実はないだろうな、
と高をくくっていましたが、集落の集団移転や中学校の敷地の移転など私の知らない
新事実に多数接することが出来ました。そして被害の大きな地域が塩浜であったとも
知ることが出来ました。そこで、自転車で貨物を追いかけがてら塩浜に行ってみました。
塩浜のヤードはこんな感じです。16時過ぎに折り返して来る貨物が止まっていました。
またタキ1両なのですね。
塩浜の製油所から駅までの専用線にはこんな感じの「踏切」がありました。
警報機も遮断機もない踏切で、そこを石油を積んだタンク車が通るのですから、
すごいところです。そしてここは喘息の患者が多く出たところ。たしかに製油所の近く
ですからねぇ。でも、ここでも思ったのは福島のこと。臭いがある二酸化硫黄と違って
放射能は臭いもしないし、そんな中、機械のデータを示されて集団移転というは
厳しいだろうな・・・と。
一日中ママチャリに乗っていて疲れました。また腰痛もぶり返して来たので集中力を欠き、
最後の一枚はこんな感じの写真と相成りました。
1804って中学二年の冬に佐倉機関区で撮影した機関車です。
全検出たばかりなので、きれいな塗装のままです。
ということでシアトル報告はまた後日に。