Washington D.C.

ESD関係の学校等の視察と、ESD日米交流会議への出席のため、
約二週間ほど渡米しておりました。

約二週間にわたるアメリカでの経験は、実に有意義なものでありました。
このプログラムは日米両国政府から多大な資金援助を受けて実施されたものですので、
諸機関への書類報告等でその成果はしっかり還元致しますが、このブログでも
軽めの話題を中心にその内容をご報告していきたいと思っております。

久しぶりのUAです。多分1997年の世界一周航空券Globetrotterを利用したとき以来
だと思います。その時はビジネスクラスでしたが、今回は当然エコノミー。
えっ、これ国際線だぜ?って思うほど狭いシートピッチでしたが、不幸中の幸い、
B777でしたので、前席にシートモニターがついており、飛行機では寝られない私は
山本五十六、ミッションインポシブル(ゴーストプロトコル)、フォレストガンプ
三本を観ました。

私は飛行機は必ず窓側に座りたいと思っており、今回も同行者の方のご好意により
窓側に着席することができました。アラスカやカナダ、そしてアメリカ中西部の
様子を窓から見たいと思っておりましたが、夜間の時間帯でしたので、
ブラインドを閉めていなければならず、また毛布を被って光が漏れにくいように
して開けても雲ばかりで、地上の様子をなかなかよく見られませんでした。

下の写真はカナダ、アメリカ国境近くのものです。

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平坦な準平原がひろがり、左下から右上に伸びる河川の周囲のみ、緑がみられることが
わかれます。このあたりは地図帳では「春小麦地帯」となっているはずですが、
私の目には不毛な大地としかうつりません。このような新大陸のやや乾いた大地をみると、
日本は雨が多く、緑豊かな国なんだなぁ~、と思うのと同時に、このような広大な大地で
生産された農産物とガチンコで競争させられたら、日本の農業は価格面では
厳しいわけだよなぁ~とも思ったのでした。

古期造山帯のアパラチア山脈の頃には軽食が供されたためブラインドを開け、
その山容を楽しみにしていましたが雲・・・ワシントンも雨・・・。ということで
折角の窓側でしたが、イマイチの光景でありました。ただ、ワシントンのダレス空港には
このような珍客がおりました。

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引退したシャトルはダレス空港近くのスミソニアン博物館の分館?に収納されるため
ジャンボの背中に乗ってここにやって来たのだとニュースで知りました(internetで)。
水平尾翼の端に補助翼がついているのですね。しかも尾翼のロゴはNASAになってます。

この後夕食をとって早めに寝ましたが、時差ぼけで数時間しか寝付けず、翌日は
徹夜明けと腰痛とでまったくもってヘロヘロな状態で翌朝の会議が始まりました。
なんとか寝ずに会議をクリアーしましたが、午後の時差ぼけ解消観光の頃になると
どうにも腰が痛くなってしまいました。そこで「腰の調子が悪ければボクが指圧しますよ」
と言ってくれたS氏にバス移動中に「腰痛SOS」信号を発信し、バスが着くや否や
スミソニアン博物館前のベンチで、S氏による整骨院ばりのテクニックで指圧・
マッサージをしてもらい回復しました。S氏には大感謝であります!!
しかしアメリカの首都の世界的な博物館の前で指圧をする人は我々が初めてなのでは(笑)?

下の写真はワシントンD.C.リンカーン記念堂前の階段です。ここでキング牧師
かの有名な演説を行いました。バックには奴隷解放宣言を出したリンカーン大統領の
巨大な像があるリンカーン記念堂、そして正面の池(現在次期大統領選のため工事中
で水が抜かれてしまっています)とワシントン記念塔の先には国会議事堂。そして画面
左にはホワイトハウスがあるわけです。この場所で"I have a dream"の演説を行ったのです。

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キング牧師の演説は白黒テレビ画像で観たことがありますが、この立ち位置の場所の意味まで
はさすがに分からなかったので、実際に同じ場所に立ち、その立ち位置の意味(奴隷解放宣言
をしたリンカーンをバックに正面の議会と斜めに位置するホワイトハウスに対して呼びかける)
が分かると、なおさらキング牧師の演説に感動したのであります。
そして小生も同じ位置に立ち演説の格好をしてみました。
でも小雨が降っていたので"I have an umbrella"(私には傘がある・笑)になってしまいました。

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そうそう、ホワイトハウスも見に行きました。この時は晴れてたんですよね。

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先ほどのワシンシン記念塔の近くにはベトナム戦争などの記念碑があり、我々はそのうち
朝鮮戦争のモニュメントを見に行きました。(そのうちイラク戦争やアフガン戦争のものは
できるのかな?)私は以前より戦没者の追悼というものにパールハーバー・ワークショップ
以来関心が高いため、このような追悼の方法には興味をおぼえました。

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またワシントンにはイオウジマ(日本名は「いおうとう」ですので念のため。
でも防衛大臣も知らないらしいので、皆さんが知らなくてもいいのかもしれませんね・毒)
の大きなモニュメントもありました。風雨が強くカメラをちょっと出してすぐ撮ったので
荒っぽい写真ですが・・・

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クリント・イーストウッド氏が「硫黄島」を題材にして日米両国からの視点で映画を
二つ撮りました。まさにパールハーバー・プロジェクトを地でいくものだと思います。
とはいうものの、正直に言うと私はアメリカからの視点のものをまだみていないのです。
このような銅像は日本人としてちょっと違和感を感じるところです。なかなか言語化
出来ないのですが・・・。

後日、ホームステイ先の金庫に保管されていた日本兵の小銃の話もするつもりですが、
そこでも本来今回のテーマとは関係ないはずの「戦争」が顔を出してくるのです。
詳細は後日に。