伊勢詣報告・その2

名松線は2009年の台風被害をうけ、家城~伊勢奥津がバス代行となっている。
18キップでも乗れるため、家城から終点の伊勢奥津まで行ってみた。
乗客は・・・我々を含めて3名。つまり地元のお客は1名ということ。
ちなみに帰りも同じで、これではバスで十分、いやバス路線としても存続が
厳しいのではないかと思った。

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二年以上も列車がきていないホームはご覧の有様。
ただ、バスから見えた路盤は被害は確認できたものの、鉄橋の流出などは確認できず、
路盤流出が散見された程度。ハッキリ言えば、JR東海が本気で復旧させれば
あっという間に出来そうな被害程度であると判断した。つまりわざと復旧させずに
この被害を口実に廃線に持って行くつもりなのでは?と思った。
実はこの直後JR東日本から岩泉線の廃止がプレス発表されました。

バスの乗客が我々を含めて3名という現実は、もはやバスでよいのではないか?と思いました。
もっとも朝夕の通学需要がどれほどあるのかも加味しなければなりませんが、
少子化は地方も深刻ですので期待薄ではないかと思いました。

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線路は錆び錆び、踏切の遮断機も撤去されていました。線路はおそらく除草剤を散布している
のでしょうが、ぱっと見廃線ですよね、これでは。

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奥津の集落はこんな感じで、伊勢参りの人々が昔は通っていたそうです。
そして高度成長の頃までは材木の積み出しでにぎわっていたそうです。
こんな街にも映画館があったそうで、その跡地がありました。
わたしなんか、こんな旧街道の雰囲気が好きなのですが、多くの人々にとっては
退屈な景色にしか見えないでしょうね。

ところで昔の街道ってすこし曲がっていて、私はあのカーブの先にはどんな景色が広がっている
のだろうか?と楽しみながら歩くことが出来てうれしいです。もしかして昔の人は
そのような効果をねらってわざとくねくねさせたのでしょうか?
ご存知の方がいらしたらご教授ください。

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家城では通票を使用していました。今や貴重ですね。
ただ、この列車の乗客は我々を含めて4名・・・。
松阪についてからは、参宮線で鳥羽に出て、水族館も赤福も食べずにコンビニで
菓子パンを買い込んで折り返しの快速みえで帰りました。

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伊勢鉄道のキップは車掌から買い求めましたが、今思うとこの路線の廃止はまさに
「お役所仕事」の典型ですよね。楽しい日帰り旅でしたが、最後に官僚制度の
馬鹿馬鹿しさに憤慨してしまった一日でありました。

つづきは、また別の日に。