失望することの多かった一年
あれから一年たちました。
おそれていた巨大余震は「今のところ」発生していませんし、
マグマだまりで地震が発生しても、富士山も「今のところ」おとなしくしてくれています。
なんといっても幸運だったのは、原子炉が様々な幸運が偶然重なって爆発することなく、
東日本がダメになることが「今のところ」起こっておらず、
表面的には平穏な日々が東京では続いています。
この幸運には素直に感謝したいです。
この震災は日本という国の様々な部門の劣化を浮き彫りにしました。
経済を理由にした(であろう)福島の切り捨てという最悪の対処が現在も進行形です。
そして除染という、重度の汚染地域では効果の小さな、新たな公共事業が
莫大な資金を投じて行われている。
道路等を洗っていましたが、この水は河川に入りと河川と地下水の汚染します。
つまりこれからは飲み水の汚染と農業用水が汚染されるでしょう。
(公表されればの話ですが・・・)そして海洋汚染と続くことでしょう。愚かなことです。
そのまま30年ほっとくしかないんです。残念ですが・・・。
あきらめることも必要なんです。万物は流転する。
その状況にに応じて私たちは賢く判断し、しなやかに、したたかに生きていかなければならない。
3.11前の日本社会は、東日本ではもう戻ってこないんです。その覚悟と見通しを持っている者と
そうではない者(こわくて考えられないと現実逃避をしている者も含む)では、
話をしていて、こんなにも考え方、ものの見方などが異なるのか、と感じてきたこの一年でした。
福島の人々にも失望しました。もう一年たちましたので、私は放射能汚染については
自分の周りから汚染の可能性のある作物をさけるという行動以外は起こさないつもりです。
対して主張した「無主物」の論理(この論理とそれを主張した東電には激しい怒りを感じます)に従い、
ガムを敷地内に吐き捨てるというデモがあれば喜んで参加しますが、
(こういう相手の言うことを逆手にとったややユーモアのある抗議行動ができないものか?)
「神は自ら助くる者を助く」という聖書の言葉の通り(クリスチャンじゃないけれど)、
風評被害といって売れない理由を買わない消費者のせいにする限り、消費者との連帯はとれません。
消費者と福島の生産者との対立という構図は、本来攻撃されるべき東電サイドから見れば
ほくそ笑む構図、まさにイギリスの分断統治の構造そのものではないでしょうか。
落とし前をつけましたか?何もしていないでしょ?こんなふざけた話がありますか?
私は食べて応援するつもりは全くありません。食べられない農産物は東電の関係者と
政府関係者、特に原子力行政を推進してきた人々が買えばいいわけです。
なんで我々が発ガン性物質が含まれる食物を買う必要があるのでしょうか?
本来責任をとるべき人間や会社、組織が責任を回避し、そのツケを市民に追わせている構図、
そしてそれを「よいしょ」するマスコミに激しい嫌悪感を覚えます。
スイッチが入り、通常モードから非常モードに入りました。しかし多くの人たちは今でも
震災前の暮らしに戻りたいという気持ちからか、いまだに通常モードなのではないでしょうか?
どうだろうか?福島空港の近くにカジノを作ってアジアからの客を集めてはどうか?
いろいろ、これをきっかけに大胆に変えられるチャンスであったのに、元に戻そうという
力学が強すぎて、復興対策事業に目新しいものはありません。
もう昔の生活ができないんだ!!という覚悟があれば別の発想ができたのではないか?
ですから、昔の生活ができるかもしれない、いやきっとできるはず!!という「応援」は
逆効果だったのではないか?
しかもあきれたことは、このような非常時にもかかわらず、役人達は省庁の論理を全面に
押し出し、相変わらずの縦割り行政を続けています。この国のシステムはいかれている。
戦前の陸軍と海軍の銃弾の口径が違っていたと聞いて、これでは合理的なアメリカに負けるのは、
至極当然だと思いました。日本は気合いで勝とうとしました。そして今も「絆」で放射能に
立ち向かおうとしています。愚かとしか言いようがありません。
ああ、どうして我が国はまた同じ失敗を繰り返してしまうのか・・・
一つは事の本質を追究しない(口うるさい国民を増やさないためにさせてこなかっただけ?)
教育の成果でしょう。こんな国にするために310万人もの犠牲を払ったのでしょうか?
このまま大規模余震が起きなければ良いのですが、スマトラ沖地震後の最大余震は
本震発生後1年3ヶ月後であったという事実を皆様にお伝えしておきます。