失敗学と毒矢の例え

畑村洋太郎氏の「失敗学のすすめ」を読了した。
その抜粋をデジタル化したものを自宅に送信した筈だったが、できていなかったので、
内容についてはいずれ解説したい。

で、今日は何が言いたいのかというと、私がなぜ昔から災害や事故、後者はすなわち
「失敗」について興味を持っていたのか?をちょっと考えてみたのです。
そして思い当たるのが、あの恐ろしい本「あの事件を追え」の存在だと気づきました。
これ、怖い本だったんです。今のご時世なら子どもにこんな刺激の強いものを!!
といわれるでしょうね。

この本は小学生向けの本でありまして、イラスト等がふんだんに用いられた本で、
私は洞爺丸沈没事故の挿絵がとても怖かったのを今でも覚えています。
(なんとなく恐怖に引きつったその人の顔が野口英世に似ていると思っていました。)

そこで取り上げられていたのが洞爺丸の沈没、三河島事故、そして飛騨川バス転落事故
だったのです。そしてこの本の存在も次第に忘れ、しかし頭の片隅にはこの事故の
ことが引っかかっており、それが大人になって何らかのきっかけで再燃し、
今度は獲得した知識と大人の視点でもって事故を振り返ってみるということを
今まで自然としてきました。

だから以前このブログで書きましたが、高山経由で名古屋入りしたのも、
バス転落事故の現場を車で通ってみたいと考えたからなのです。

実は通ってから事故についていろいろと調べてみました。
インターネット時代の素晴らしさを改めて実感した訳ですが、そのとき国道の
対岸を走る高山本線白川口の駅長は経験したことのない豪雨に危険を察知し、
列車の遅れにいらだつ乗客に詰め寄られても列車を発車させず、結果として
土砂崩れに列車を突っ込ませずにすんだと知りました。
ちなみに別のサイトでは駅長は個人の判断ではなく、当時の雨量規制に従っただけ、
という見方も示されているものもありました。こっちが本当っぽいですが、
個人的には「詰め寄る乗客の要求にも頑として首を縦に振らず・・・」の話の方が
好きです。

もし私の好きな話の通りであるならば、こう思ったのです。案外人間の勘って
頼れるものなのかなって。

「毒矢の例え」という仏教の話がある。
毒矢が刺さって苦しんでいる人に対して、だれが矢を放ったのだ?
男か女か?背はどうだった?顔見知りか?など原因究明をしていたところ
矢が刺さった人は死んでしまった、というお話。

放射線の人体の影響は、まだ誰にもわかりません。
何ミリシーベルトなら安全なのか?そんなのまだわかりません。
私はそんな科学的な根拠が確立するのを待つことなく、
自分の勘を頼って生きて行くつもりです。