都営交通の展示

江戸東京博物館で「都営交通100周年記念特別展」が開催されている。
幼少期に都電を見て育ち、都営バスを利用し、そしてすべての都営地下鉄線を
(当時はまだ大江戸線なかったからね)通学に使ってきた私としては、見逃せない展示である。

都電の方向版や都電のすべての路線の系統板が見られたのは感涙もの。
私としては思い入れのある19番の広告は青い色の「週刊新潮」だろう!!と思いましたが・・・。
(ここは撮影禁止ですので、画像はありません。代わりにリンクを以下に)

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6000系ですが、Hゴムの方向幕表示が気に入りませんというのは贅沢でしょうか?あとやっぱり
系統番号表示がないのは「画竜点睛を欠く」のではないでしょぅか?

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この木造の車内とニス?の臭いがなつかしいですね。

ざっと見た感想は「これは特別展であってはならない」というもの。つまり都営交通だけで
これだけネタがあるのだからどこかに「都営交通博物館」を常設すべきではないか、
と考えたのです。西台の車庫の一部、そうそう人工地盤の上に少し空き地があったじゃない。
あれダメですかね?あと、西馬込駅近くの検修庫の跡地(今どうなったのかしらないけど)
とか、都有地だったら埋め立て地が山ほどありますよね。作ってくれないかなぁ・・・。

中学生の時の授業中に「停滞前線」(きっと最初に立ち上げた時そういう内容の授業中
だったのでしょう・笑)という架空の都営路線を計画していた私としては・・・
いやぁこのこと自分でも久しぶりに思い出しました。まったくオタクですね(笑)
この「停滞前線」、今のメトロ南北線とほぼ同じルートなのですが、浦和どまりとせず
野田線の七里まで行き、車両基地は膝子の水田地帯につくるという計画でした。
車両デザインは今は亡きJR東日本の209系そっくりだったものですから、
デザイン的には私の方が先!!だから実車が出て来て「これ俺のデザインだ」とうれしく
思いましたが、この話はマニアな友人にもしていなかったはず。

そうそう、高校生の頃ロードマンに乗って25系統の西荒川の廃線跡を追いかけたことも
思い出しました。なんとなく駐車場らしきところに線路を発見して興奮した記憶(笑)が
あるのですが、遠い昔の話なので忘れました。あの頃はまだ「鉄道趣味」はおろか、
今や一般ピープルも楽しんでいる「廃線跡巡り」も認知されていませんでしたから、
その成果は公開されることなく、今に至っている訳です。ネガ残ってるかな?

という昔からの都営オタクなので「新事実」とは出会えませんでしたが、
なかなか楽しい展示でした。