復興と心のよりどころ

津波被災地を食糧供給基地にするという構想が朝日で報じられた。
大潟村の入植以来の「攻め」の農業政策ではないか、おおいに期待したい。

農地の区画は機械化に適した四角となるのだろう。
私の問題意識は、新たに造成される大規模集落のことである。
私は地理屋として人間が新たに作り出した、人工の街に興味がある。
そういう意味で団地という超人工的な街に興味があるから、この首都圏の危機を
バネに今回名古屋ベースを賃貸契約したという側面もある。

この手の人工的な街には潤いがない。その潤いのなさがどうにも私の癇に障るのだ。
その潤いとは、ゲームセンターやパチンコ屋、そしてこれも重要だと思うのだが、
ややいかがわしい飲屋街のことである。つまりある種、人間の欲望に対応した施設群
とでも例えられるだろうか。この手の「潤い施設」が「御上」が設計したニュータウン
そしてその究極の進化系である「つくば研究学園都市」には皆無なのである。
(つくばの場合、計画エリア外には「スナック『NASA』」(笑)という
いかにも研究学園都市らしい名前の飲食店があり、それはそれで笑えるのだが・・・)
「御上」が設計した街は、完全に殺菌してしまった食べ物のような感じがする。
安全性は確実に保証されるのだが、イマイチおいしくない。
内容は正しいのだけれどおもしろくない「文部省推薦」の映画のような気がするのだ。

ではつくばにゴールデン街を作ればいいのか?ハモニカ横丁があれば良いのか?
いやそれだけでは足りない、う~むではその足りないものは何だろう?
と人工的な都市について考えていたその「最後の1ピース」を最近見つけました。
そうか、それは宗教的なよりどころだったのか!!

以前ヨルダンに行った時、宅地造成をする際はその中心にモスクを造ると聞いて、
へぇ~と感心した。ヨーロッパを旅行したときには街の中心には必ず教会と広場があり、
そこが実質的にも機能的にも中心となっていたが、「心のよりどころ」という視点では
とらえていなかった・・・。
なるほど日本だって江戸以前を起源とする門前町は、その「心のよりどころ」が中心に
あり、周囲の人々に強力な磁力を発信しているではないか。
「寅次郎」も「とらや」というふるさとはもちろん、帝釈天(と御前様)の磁場から
離れることができていない。寅次郎の舞台設定は、磁場を発生させる門前町
最適だったのだ。だって寅次郎が高蔵寺ニュータウンではドラマにならない。

日本の街の中心は駅であろう。しかしその鉄道が衰退してしまっている地方都市では
駅にもはやその機能はなく、人々が集まる中心はバイパス沿いに立地する
全国画一的な内装のイオンモールなのではないかと言ったら言い過ぎだろうか?
地方の衰退は、内田氏の文脈から考察すれば、その街ならではの「中心」がなくなった
ことにある、と言えるのではないだろうか?

話を元に戻す。
東北の沿岸に新たに街を作るのであれば、街の中心にはショッピングモールと
駅とバスターミナルができるのだろう。そこに小さなものでいいから何かしら
宗教的なもの、つまり自然と手を合わせられるモニュメント、つまり大仏でもいいし、
お地蔵様でもいいし、そういったものができないだろうか?
そしてどこかそのエリアの一角にはお寺も誘致したい。その場合新しいスタイルを
とるお寺を誘致してはどうだろう?
この国難時こそ、ひとびとの心を支える「正しい」宗教家の出番である。

政教分離を是とする日本国憲法の規定から「御上」がニュータウンに宗教的な施設を
誘致するのは確かに微妙な問題かもしれない。しかし前述の内田氏の指摘するように
その手の宗教性を排したニュータウンが衰退しているのは、他の要因もあろうが
確かに「心のよりどころ」がないこともその一因であろうと思うのである。