老婆の話

どうも昔から鉱山町というものに強く惹かれている。
このブログでも別子銅山常磐炭坑などの訪問記を紹介して来た。
実はこの春も念願の筑豊炭田八幡製鉄所巡りをしようと計画していたのだが、
「名古屋ベース」の資金捻出のためキャンセルしたのだ。

で、この写真はバブル経済真っ盛りの1989年3月の足尾線、現在のわたらせ渓谷鉄道での作品。
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なぜこの写真をなぜ出して来たのかというと、この撮影旅行時「こなか」
という紳士服チェーン店のような名前の無人駅の小さな待合室である老婆と話した内容を
津波で破壊された街の映像をみて思い出したのだ。

そう、無人駅ゆえストーブもない待合室で列車が来るのを待っていると、
そこに老婆がやってきた。そして初対面の私に身の上話をいろいろと語り出したのだ。
老婆は昔、名古屋の近くでたいそう羽振りの良い家に生まれて(確か材木問屋といっていた?)
不自由なく暮らしていた。だけれど伊勢湾台風ですべてを流されてしまった。
そして今は私はこんな田舎で細々と暮らしている。そんな話だった。

無情という言葉で片付けたくはないが、それ以外の表現を見つけることができない。