1985年2月10日の撮影行

先週は拝島に米タンを撮りに行ったのですが、ウヤ・・・。
ということで最近はお見せする写真がありません。
そこでK氏より「沼上峠の写真を出してよ」とのリクエストが寄せられましたので
ここでご紹介しましょう。時は1985年2月10日、土曜日夕方の「なすの」車内で
K氏と待ち合わせましたが、K氏はまた遅刻(笑・学校で何かあったんだっけ?)。
K氏とは赤羽で合流し、黒磯に向かいました。その黒磯で撮影したのが以下の作品。

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宇都宮機関区所属の168号機はひさしもスノープローもついていないため魅力的ではない
機関車ですが、この年はもはや「ゴハチ自体が貴重」という時代でした。
168号機はこの年の初秋に廃車になっています。活躍する最後の姿だったのですね。

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この旅の目的は間もなく消え去ろうとしている旧型客車です。この日は雨でカメラに雨が
かかったらやだなぁ・・・と思いながらバルブ撮影しましたが、雨水で車体が光ってきれいですね。
この日は郡山の終夜営業の店で徹夜し、途中で店が混んで来て追い出されました。そんなわけで
眠いやら寒いやら・・・という状態で翌日の始発列車で中山宿へ。今回のメインである
旧型客車使用の1227列車を撮る為に沼上峠(今は中山峠っていうみたいですね)をめざし
目指しましたが道のりは遠く、K氏がドライブインか何かで電話を借りてタクシーを
呼び、それで峠の頂上に向かいました。(度々遅刻をするK氏ですが、こういう時の行動力は
流石です。当時はケータイなんてなかったですからね)

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いやぁ~ほぼ徹夜で極寒の峠からの大俯瞰。たいしたものです。今は絶対無理ですね。
でもこのような体験のつみ重ねから、疲労や寒さ・雪対策の知恵がついたのも事実。
この後新潟出身のK氏の先導で道なき道を雪中行軍し、沼上信号所で交換待ちの50系客車
の車掌室のドアをドンドンと叩き「すみません、乗せて下さい」と我々、車掌さんは
「本当はいけないんだけれど」と言いながらも乗せてくれました。感謝。

次の記憶は郡山、徹夜明けですから暖房の効いた車内で爆睡だったのでしょう。
その後は二人のK氏は新幹線で福島へ移動、私は在来線で南福島に移動し今度は東北線
客車を撮影しました。いやぁ~タフですねぇ~。
その時の移動中に撮ったのが、以下の作品。沿線には二本松の名酒「大七」の看板が多いなぁ、
という印象を今でも覚えています。

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駅からヘロヘロになって(多分朝から何も食べていない?食べたとしても乗り換え時に
郡山で駅そばが限度か?)撮影地に到着しました。長大客車列車が行き交う当時の東北線
2両のロングシートの電車が走る現在とは、まさに隔世の感。

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でもって福島駅の観光案内所でK氏がとってくれたビジネスホテルに泊まり(多分この時が人生
初ビジネスホテルだったと今思います。)なんと晩飯はわざわざ郡山に行って昨日篭城した
食堂で食事、それでまた福島に帰るというまぁ何とも若さに頼った行程でありました。

翌日は確か奥羽本線板谷峠にいく予定でしたが、大雪で宿のご主人に「やめといた方が・・・」
と言われて転進。これまた有名撮影地に行きました。

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この後はいろいろと歩いて(この時代はコンビニなんかなかったから多分昼食抜きで)
これまた有名撮影地の以下の場所に歩いて移動・・・たいした体力です。

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この後K氏と郡山まで旧型客車で移動、氏は新幹線で東京までワープしましたが、小生は
当時のミニ周遊券は急行の自由席は乗車可能だったものですから、「まつしま」で帰りました。
郡山ではK氏にキオスクで菓子パン?を買いに行ってもらいました。あれから
四半世紀たちましたが、ここに改めて感謝の意をあらわしたいと思います。