1984年10月14日の今市

追われるもののない週末は久しぶりです。
特に予定もないのでどこに行って何をしてもいいのですが、
さぁ自由にしていいぞ、といわれても案外何もしないものですね。
やっぱり適度な忙しさの方が創作意欲が湧くのかもしれません。
寒いので今日は自宅でゴロゴロしていました。

さて前回は今市での作品をご紹介しましたが、今市には27年前!!の10月
にも行っているのです。その時のポジフィルムをご覧に入れましょう。
写真が下手でしたので、露出などはメチャクチャでして、21世紀のデジタル補正技術に
よって多少はお見せできるレベルとなりました。

実はこの前日に「中間テストお疲れさま会」があって小生激しい「二日××」でした(笑)。
しかし同好の士であるK氏と東武浅草で待ち合わせでしたので(確かそうだったと記憶します)
気持ち悪いのを我慢して(この頃からこんなのだったのかと・・・懲りてませんね)
自転車で向かいましたが、K氏は現れず・・・という事だったと思います。

そんなわけで臨時の快速は当時はまだ騒がれていませんでしたが、後に趣味界で熱い注目を
集めることとなった、つり掛け式の5700系でして、私は先頭車に陣取ったのですが、
何せ気持ち悪くって(笑)良く覚えていません。あぁもったいない!!
ですからこのような気合いの入っていない写真しか残っていないのです。
今見てみると左に写る旧6000系の塗装や柱の吸い殻入れに時代を感じます。

イメージ 1

で、なんでまた今市に行ったのかというと、おそらくK氏から以下のような臨時列車が
走るとの情報があったのだからだと思います。当時北のゴハチは消滅寸前で、突如89号機が
茶色に塗装変更されて大変な人気を呼んでいたのでした。

イメージ 2

いやぁこの写真、実は見るに耐えない露出だったのですが、現代のデジタル処理で
よみがえりました。この後どうやって日光に行ったのかは覚えていませんが、日光では
折り返しの間電留線で撮影会となっており、じっくり89号機を撮影することができました。

イメージ 3

ゴハチはカッコいいですねぇ。私は上越線のゴハチが好きでしたので、ヒサシと電暖表示灯が
ついているのが好きなのですが、強いて言えば89号機にはスノープラウがないのが不満。
だから窓の大きさとかHゴムとかはヒサシがついている限り気にしません。

その後は今市に戻って日光連山をバックに89号機を待ちましたが、どうもこの時も光線には
恵まれていないようで、背景の山だけに光が当たっていますね。日光ではお目当ての列車が
来ると手前が曇ってしまうというジンクスがあるのか?
イメージ 4

窓から顔を出している方々が多数いらっしゃいます。困ったものですね。
この後は東武の3000系に乗って帰ったことを記憶しています。
途中から快速に乗り換えたのでしょうが、そこらへんの記憶は曖昧なのです。

ちなみに当時私は快速の名称である「だいや」はダイヤモンドのことだと
思っているおバカでありました。