ベトナムか?

まずはこの写真を観てほしい。どこの国だとお感じになるだろうか?
イメージ 1

実はこれ、戦後すぐの日本の写真なのである。
相変わらず忙しい日々が続いているが、何かしらの知的刺激が入って来なければ
資源も意欲も枯渇してしまう。そんなわけでファミリー用に購入した「ぐるっとパス」を
利用して江戸東京博物館の企画展「東京復興 カラーで見る昭和20年代東京の軌跡」
に行って来た。金銭的な報酬は0円、もらったものはミネラルウォーター一本だけという
水道橋での講演の後に、休暇を取って行ってきました。
(まったくこの業界は知的財産というものをバカにしている!!)

この頃は白黒フィルムの時代であり、これらの作品はアメリカ兵が撮影したものである。
彼らの目には、我々の「当たり前」が面白く写っていたようで、当時の風俗をカラーで
見る事ができる秀逸な企画展であった。またカメラを向ける米兵の日本人に対する
視線は優しく、「占領軍」という威圧感は感じられなかった。だからこそ人々は
素の表情を撮影者に向けたのだろうけれど。

イメージ 2

これまた痺れる作品だ。背景の「ラジオセンター」の文字と車を消せば、
場所の特定は極めて難しくなるはずだ。場所は当然秋葉原。牛が牽いている荷物は
当時存在していた青果市場からの積み荷なのであろうか?それとも当時の最新かつ
高級家電製品であったラジオなのか?また、荷車の車輪がゴムタイヤできなく、
木である事にも驚かされる。

イメージ 3
客車を利用した住宅。不謹慎ながら住んでみたいと思ってしまいました。
しかし廃車の客車を利用しなければならないほど戦後の住宅事情が悪かったのか、
だからこの後に公団住宅、団地ができて、今見れば狭い公団住宅も当時はあこがれだった
事がわかります。歴史を見る時、とくに近現代史こそ「当時の視点」で見る事が大切なのですね。

イメージ 4
米兵が流し撮りのテクニックを駆使して撮影した上野動物園の「お猿の電車」。
私の幼少期は新幹線になっていた訳で、当時の最高速列車であった訳です。
なのになんでEF15という貨物機がモデルとなっているのか?と家に帰るまで
疑問に思っていましたが、今こうして改めて見て「あっEF58の旧車体か!!」と
はたと膝を打ったのでありました。

今年の夏は忙しく、お盆も仕事。今日は前回アップした上越線の蒸気乗車時以来、
一月ぶりの完全な休み。1日中家にいるのは3ヶ月ぶりかな?