東北旅行報告 その2PM

浄土ヶ浜で観光し、といっても今年の夏はいつも雨・・・。
晴れていれば白い岩が美しく見えるはずですが、どうもイマイチですね・・・。
ここも6年半前は舗装が剥がれ、レストハウスも壊れ、ガードレールもひしゃげていたのですが、
今はすっかり整備されていました。

そして田老に向かいました。私は1989年に三陸津波のサバイバーの方からお話しを
伺い、そして後でお見せするホテルの一階で「海田老定食」を食べたことをよく覚えています。
これまで見てきた、南三陸気仙沼陸前高田はいったことのない街でしたから、
精神的な衝撃はあまりありませんでしたが、よく知っている、しかも思い入れのある街が
津波で完膚なきまでに破壊された姿を見るのは、とても辛いものがありました。

でもあれから6年半。どうなのだろう・・・とまずは田老駅からいつものアングルで
街を眺めてみると・・・。

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あぁ、全然復興していない・・・。ん?上の写真では見にくいけれど、大きなネットが。
なんだあれ?

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えっここ。昔は市街地だった場所だよ?そこに野球場を作っちゃったんだ!?
う~ん。部外者がどうのこうの言うことではないのだろうけれど・・・。なんだかすっきりしない。

下の写真は2009年の夏のもの。この防浪堤を越える津波はないだろう。地元の民宿の親父さんも
津波にこの防浪堤が耐えられるのか見てみたい」と冗談で言っていたのですが・・・。
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そして2011年6月
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で、今。
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私は、ず~っと「なんだかなぁ・・・」という言葉をつぶやいていました。
2009年夏
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2011年6月  下に写っているのは調査に同行したO君とN君。
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そして今年の夏。右上に写っているのが高台移転した住宅地です。ここ、この後行ったのですが
写せなかった。なんかね、田園都市線沿線なんですよ、この住宅地。でもね、津波の被害を
受けなかった、あるいは被害が軽微だった家は昔の家なの。同じ地域に新しいニュータウン
古くからの集落・・・うまくいってるのかなぁ・・・と余計な心配。
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防浪堤は結構破壊されましたが、この部分は残りました。とはいえ、今回の津波はこの上を
越えました。ですから、この海側に新しく堤防を作っていました。それがこれ。

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ちなみに写っているのは筆者。大きさ比較のためにブログに初登場?
これ。地域を守るためって理由はわかりますよ。でもね、近くに立つと刑務所の壁みたい。
海が見えなくなり、こんな壁に囲まれて過ごすのか? 「なんだかなぁ・・・」という
つぶやきが止まりません。

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リョーイチと一階の食堂でご飯を食べたホテル。本当はもっと写真を撮ったのですが、
言いたいことがうまく言語化できないので掲載を諦めました。

道の駅で食事をし、次の目的地である龍泉洞に向かいました。