教会と武家屋敷

天草についての知識はまったくなく、行くと決めていろいろ調べてみると
教会がたくさんあり、しかも「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として
世界遺産候補になっているというのです。世界遺産自体には、観光的な動機が強く
感じているのだ、あまり興味はありませんでしたが教会には興味がありますので、
行ってみることにしました。ところが「事前連絡」が必要とのことで、ネット上から
パスワート等を登録して、登録した時間に行きました。が、まったくのスルーパス
いったい事前登録とはなんだったのでしょうか。まぁ見学できたから良いですが、
なんだか無駄なことをさせられた感がありました。関係各所に再検討して欲しいですね。

さて、見学の手続きについては大いに不満がありましたが、教会とその周辺集落は
実に素晴らしいところでした。まずは崎津教会の写真を。

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雨が降ったり止んだりという天気でしたから、教会の建物の色がくすんでしまっていますが、
それはそれでしっとりした雰囲気でよかったかな。教会の内部は撮影禁止ですから画像はなしです。

教会周辺の集落はキリシタンの方もいれば、そうでない方もいて、それらがうまく共存
しています。それを端的しめす画像はこちらです。

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弾圧されている時にキリシタンがどうしていたのか?についての展示もあり、信仰とは尊いものだと
感じた次第です。しかし「これだけ」と他を排除したりすることはなく、共存していたという
点が面白いものでしたね。ですから、お寺も神社も共存しているのです。いかにも日本的で
良きものだと感じました。

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つづいて大江教会に行ってみました。ここは事前登録をしていませんでしたが、崎津教会が
事実上見学フリーでしたから、きっとここもそうだろうと考えたわけです。
崎津教会同様、建物維持費の寄付をして見学しました。内部ではシスターがオルガンの練習中
でした。シスターにご挨拶して内部を見学させていただきました。もちろん撮影禁止ですので、
内部の画像はありません。

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さて、上の画像の右端に少し写っていますが、お墓が近くにあって、それが特徴的なのです。
十字架だけ、というお墓は見たことがありますが、いわゆる普通のお墓の上に十字架が
あるというのは初めてでした。これ、この地域では一般的なものなのでしょうかね?

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さて、雨も強くなってきましたので、九州に向かうフェリー乗り場に向かいましょう。
今回の旅では多数フェリーを利用しましたが、揺れない船の旅はいいものですね。
ただ、運行や停泊、そして車の誘導等には多数の人手が必要で、補助金等がなければ
フェリー会社を運営するのは難しいなと感じました。

市長の政治姿勢等で混乱した阿久根市を通り、そこで、この旅ですっかりハマった
ちゃんぽんを食べました。というか昼食は毎日ちゃんぽんだったのですが、店によって
味付けが異なり、毎日ちゃんぽんでもまったく問題ありませんでした。

そして原発がある川内を通りました。なんでも皆さん原発がお好きな方が多いようですね。
てはいえ、車を運転していくと反対派の看板もあり、原発を巡って住民が二つに割れている
のだろうことが容易に想像ができました。そういう意味では、水俣も行ってみたいところ
でしたが、鹿児島と逆方向なのでまたの機会といたしました。

そして向かったので、入来の麓武家屋敷群です。
実は地理で「麓集落」というのがあって昔教わったのですが、よくわかりませんでした。
で、今回実際に麓集落を見学してようやくわかりました。つまり「人こそ防御の要」
といった薩摩藩の趣旨によって形成された武家屋敷というもので、これが実に美しいものでした。

入来の観光案内所の人には「どうしてここを知りました?」と聞かれました。
いわゆる超マイナーに観光地です。確かに昔の建物としての武家屋敷は一つしかありませんし、
そり特徴は地割と石垣とか残されていませんが、私はそれだけでも十分に美しいと
感じるのですがね・・・。



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入来の山城に向かう道は、このような切り通しがあります。シラス台地ですから、掘削は
楽でしょうし、私のようや火山屋には、この崖の露頭は火砕流堆積物を見学する絶好の
ポイントです。しかし崩れる危険性もあり、大々的に観光をアピールして、もし事故が
おきたら、と考えると行政が二の足を踏むのもわかります。

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入来には、一軒だけ武家屋敷が保存されていて、そこの解説の方の話がとても勉強になりました。
詳しく書くのが面倒なので、
防忘を兼ねてキーワードだけ書いておきましょう。男の居るところは床がすごくて一段高い。
そこと他は屋根が別。その間は竹の雨樋。床の間の横には空箱、首を差し出す覚悟ありの意味。
井戸は横穴。女部屋は寒くて暗い。そこでお産をしたとの老婆の話。ちなみにそこは天井低い。
それには刀を防ぐ意味もある。

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実に美しい街でした。この玉石垣の美しさはどうでしょう。
東北につながる人、特に福島、会津の知り合いが多いため、薩摩というと「むむむ」という
感情もちょっぴりあった私ですが、そのような偏見が少しずつ溶けていくのがわかりました。
(ちなみに私の会津出身の友人が、大学時代のクラスコンパで鹿児島出身の女の子に対して
「おまえは薩摩の女か」と言ったのを聞いて、とっても驚きました。)
この後は鹿児島に向かいました。

今度は薩摩藩の中の武家屋敷を巡りたいなぁ、と感じました。