およそ20年ぶりの辺野古

どうも仕事以外でキーボードを叩くのが億劫なので、写真を中心にご覧ください。

金武を散策した後は辺野古に行きました。
普天間飛行場の移転先とされているところです。
およそ20年前、台北から那覇に入りレンタカーがこの街を巡りました。
それから20年間、この街は国策の翻弄されてきました。
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上のフェンスの向こう側は米軍基地。下の写真のテントは反対派のテント。
もちろん見学に行きました。

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右から3そうめの船には旗がかかっていますね。ネット上の情報で確認していないのですが、
測量に反対する人々を排除するために雇われた地元の船ということですが、
どうなのでしょう。あり得る話だなとは思いました。こういうことがある地域は
お金に翻弄されるんです。そして賛成派と反対派に住民が分断されます。悲しいことです。

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辺野古には米兵相手の飲み屋街があります。金武はまだ営業中で、観光案内にも載っていましたが、
ここ辺野古の飲み屋街は、ゴールドラッシュ後の西部のような感じでペンキは剥げ、老朽化が
進んでいました。20年前はもっとペンキが鮮やかだった記憶があります。

これは沖縄版文化住宅なのかな?本土だったら木造でしょうが、台風の影響を
考え、すべてコンクリート造りとなっていますね。

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今回訪問して???となったのが右手の高層建築。新しくできた高専だそうで、その学生寮なのだ
そうです。迷惑施設を作る代わりの地域振興措置の一環ですが、それならば寮ではなく
すればもっと地域経済に貢献するのではないのかな・・・でも高校生を下宿させるとなると
問題起こすやつとかいて、先生方も大変なのかもね。

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この日は曇りだったので、色彩がイマイチでした。晴天のコントラストの強い日に見てみたい。
そして夜の街も歩いてみたいですね。

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なんともしびれる建物です。もはや廃墟系といってもよいのでは?

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この建物は20年前に見た記憶があります。その時はもっと青色がきつかった気がしています。

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この建物もすごいですよね。

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このあとは測量に反対する人々が集結する米軍基地前を通過して名護方面に向かいました。