Seattle part2

連日仕事がらみの夜のお誘いがあり、さきほども新規に一件
入って5連投という状態ですので、ブログの更新が滞っております。

この日の午前は環境に配慮した建物とカリキュラムが特徴の私立学校を見学し、午後は
シアトル沖合のベインブリッジ島に向かしました。そのフェリー乗り場近くのアンティークな
スポットにあったゴールドラッシュ時の採掘権証明書です。
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上の採掘許可証の横には下のような地図が掲示されており、当時シアトルが
アラスカでの金採掘の前線基地であったことがよく分かります。
今よーく見ると、リッチマン・ルートとプアーマン・ルートがあって興味深いです。
貧しい連中はカナダ・アラスカを歩いたのですね。まったくもってご苦労様です。
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小腹の空いた私はフェリーターミナルでブリトーを食べましたが、
いやはやこれがアメリカンサイズでありまして、恵方巻をはるかに超える太さで、
食べきれず船に持ち込みました。

フェリーは青函連絡船よりも全長が長く、かなり大きな船でした。乗船時間は40分程度
ですから、娯楽施設はありません。私は主にデッキで景色を眺めていました。

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出港するとシアトルのコンテナ埠頭が見えました。韓進(ハンジン)のコンテナ船ですね。
かつては太平洋地域からアメリ東海岸まではパナマ運河経由がメインでしたが、
最近はシアトルやサンフランシスコといった西海岸に着岸し、あとは貨物列車で
輸送する形態が増えてきました。後日バスの中からそのコンテナ駅を見ることになり
小生、興奮致しました。画像は後日また。

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内海なので波はまったくありません。ですから、船首もこんな感じで完全にオープン。
波が来たら車両甲板に容易く進入してしまう構造なんですが、いやはやこれまた
日本ではまったく考えられませんね。大胆な設計です。

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海に面した地域は高級住宅街です。シアトル市街地までフェリーで出勤。ラッシュ知らずで
実にうらやましい限りです。

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さて島で見学したIsland woodは、自然環境について学ぶ林間学校的な施設、
とでもいいましょうか。林間学校よりも自然環境について学ぶことがもっと前面に
出ているような施設でした。
ご興味のある方は以下のリンクをご覧下さいませ。

下の写真は宿泊棟でして、これについても子ども達の意見を聞き、それに応じて
つくったとのこと。この辺りはさすがアメリカって感じです。

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宿泊棟の近くにはキャンプファイヤー場兼ミーティングスペースがあり、円形劇場の
ような形になっていました。ここで施設を利用する学校が全部集まって話をするとの
ことでしたが、他の学校同士が集まると、ガンを飛ばしたとか飛ばさないとすいう風に
ならないのかなぁ・・・?と心配してしまった小生でありました。
いやしかし、ここは実に素敵な施設でした。
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続いては雨水の再利用タンク。正直言うと私は「またか・・・」という感じでした。
もっともその取り組み自体は賞賛すべきではあるのですが・・。

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われわれはこの施設で夕食をいただくことになっており、「持続可能な夕食」と説明されました。
何が持続可能なのか?太陽光を集めて肉をあぶるとか、ガスを使わず薪で調理するのか?
はたまた穀物使用を減らすため、野菜だけなのか?と思っていましたが、なんのことはない
菜園で自分で収穫したものを材料として使うというものでした。その収穫の様子が以下の写真。

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まぁ多くの生徒が利用するのですから、あまり凝ったことをしてしまうと、それこそ
「持続可能」ではなくなってしまいますから、この程度で良いと思います。

で、その体験調理場が下の写真ですが、ちょっと思ったのが手洗い場が十分にないこと。
「うがい・手洗い」の習慣は日本意外ではあまり徹底していないと聞いたことがありますが、
なるほどそうなんだと感じた瞬間でした。「うがい・手洗い」は是非アメリカでも定着
させて欲しいものですね。

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なお、上の写真の反対側は生徒達の食堂となっておりました。
真ん中の暖炉はシアトル近くのカスケード山脈がモチーフとされており、
ちゃんと安山岩花崗岩の貫入しているようすも表されており、この点はアメリカに脱帽。
なお、小生この時また腰痛を発症し、小雨の降る中外のベンチでS氏に指圧治療をして
もらいました。この施設で指圧したのは、我々が最初なのではないかと思い、
自然と二人で大笑い。S氏、改めて大感謝であります。

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この後フェリーで帰りました。腰に不安を抱えていた私は飲み会はキャンセル。
おとなしく眠ったのでありました。が、相変わらずの時差ぼけで夜中に
目が覚め、それから朝まで眠れないんですよねぇ・・・。