名古屋遠征 Part-1

怒濤の夏のお仕事攻勢を乗り切って、その解放感から営業活動の途中にJTBに寄ってみました。
「明後日のJR東海ぷらっとこだまってこのお店で買えます?」と聞いたところ、大丈夫ですよ、
とのことだったのでついついでは名古屋往復、グリーン車で。あっ時刻表見せていただけます?
列車にこだわりたいので・・・ということで行きは300系、帰りは700系の
いずれも9号車11番A席を確保。新幹線のグリーン車って快適なので各駅停車のこだまだって
ノープロブレムでありました。途中で「や」のつく自由業の方が4名ほど乗り込んできました。
車中で芸能人に会うことは結構ありましたが、この手の方々とは初めてでありました。

さて親分はビールじゃなくてお茶なんだね、あとバニラアイスより抹茶アイスがお好きなのね、
子分は同席せず携帯とにらめっこなんだ、とかいろいろなことがわかった「こだま」を降りて、
すぐに在来線のホームへ。そこで撮ったのが以下の写真。

イメージ 1

EF64石灰石輸送用の赤ホキを牽引する姿なんて、青梅線以来だなぁ~と思いました。
もっともその時機関車は原色で、ファンに「牛乳パック」とのあだ名を付けられたこの塗装
ではなかったけれどね。名古屋駅のホームで比較的すっきりした写真が撮れたので満足し、
高蔵寺行きの211系のロングシートでパンを食べていたところ、すぐ横の中線を中央線
上りの重連貨物が通過!!そうか、ここは東海道線のダイヤだけじゃなくて中央線のダイヤも
気にしておかないとね、と反省し明日のリベンジを誓いました。

さて今日はこのあと上りの赤ホキと夕方の下りの石灰灰輸送用の白ホキを撮るつもりなのですが、
何せ名古屋のホーム事情には疎いので、まぁとりあえず岐阜方向に行ってみることにしました。
そして隣の枇杷島で下車。

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右の棒が邪魔ですが、まぁ凝った撮影地は次回探すとして枇杷島で上りの赤ホキを撮影。
原色、しかもナンバープレートもクリーム色の1050号機だったのでラッキー!!
しかしナンバー、クリーム色に銀色の文字では読み取りにくいですねぇ。

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ここは複々線区間なのですが、ここに来るまでどの列車がどの線路を走ってくるのか
わかりませんでしたが、稲沢からの貨物線は後に述べる東海交通事業城北線のホーム
を通るので、その接近放送が聞こえるのでこれは重宝しました。
久しぶりのDD51の貨物です。屋根の上からの排気熱が迫力ですね。

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東海道筋以外ではなかなか見られないEF200です。機関車の左上にもコンテナが写っていますね。
さすが東海道、物流の大動脈ですからコンテナ列車の長いこと長いこと。

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先日吉原でも出会えたEF66の54号機。右端のコンテナが画面から切れてしまっていますが、
まぁ原色のEF66ですから許して下さい。う~ん66の原色ってやっぱりいいですねぇ。

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そして、会いたかったDD51の1804号機どご対面。この機関車、私は1980年か1981年に
佐倉の機関区で休んでいるところを撮影し、当時1804ってインフレナンバーの意味がわからず
(後にSG非搭載で成田のジェット燃料輸送用に増備と知りました。)よく覚えていた
ナンバーなのです。30年ぶりの邂逅ですが、元気そうでなにより(笑)。

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ところで時間になっても白ホキが来ません。西陽でジリジリ肌を焼かれぐったり。
よし、今日はきっと遅れてるんだなと判断し帰ろうとしたところやって来たのがこの重連
白ホキが来なかったのでこの時は「なんだよ牛乳パックの重連かよ!!」と心は荒み気味(笑)。

さて陽も傾いてきました。そろそろ名古屋ベースに戻るとします。折角ですから枇杷島から
出ている東海交通事業城北線で中央線の勝川に出ました。車内は夕方ですがキハ11の単行。
いったい何の為にこんな線路作ったの?勝川駅はこの線との接続を考えた構造になっている
けれど、城北線勝川駅はJRとは離れた場所にあるし。これって典型的な「無駄な公共事業」
なんじゃないの?という勝川駅にて撮ったのが以下の作品。

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さて今日はベースに1人なので勝川駅高蔵寺あたりで牛丼でも・・・と考えていたのですが、
やはり車文化圏の名古屋郊外の駅前にはその手の店はナシ。仕方なくコンビニ弁当で空腹を
満たしました。