田老のようす その3(ラスト)
前回は田老以前の姿との対比をメインにしましたが、
今回は田老の市街地の写真と、その前に立ち寄った浄土が浜の写真をご紹介しましょう。
「やませ」が吹いていたため15℃と肌寒く、雨もパラパラという観光地は
我々以外、工事で岩手に来たんだからついでに浄土が浜でも見てこうぜ、
という感じの二人組のみでした。
2009年の訪問時に歩いた遊歩道は崖崩れのため通行止め。
道路は以下のように、道路には地震による崖崩れの岩屑が除去されずに残り、
路面も津波による浸食でボコボコとなったいました。
確かに今優先すべきは住民の生活であり、観光地は後回しというのは当然なのですが、
観光地の整備をしなければ観光収入も減ってしまう訳で・・・
夏の観光シーズンまでに間に合うのかな?
また観光バスの駐車場?だったところも津波で浸食されており、大きさを理解しやすく
するためO氏に立ってもらった。2m近くも削られている事がわかります。
浄土が浜の後我々は田老に向かった訳ですが、その途中の国道は山間部を通っているため
ここって被災地?という感じで全くもってふつうの岩手でありました。
ところが田老の入るや「空襲後の東京」あるいは「原爆投下後の広島」という感じの
光景が、白黒ではなくカラーで飛び込んで来たのです。
右に伸びて行くコンクリートの残骸は防浪堤があったところです。ここの部分は引き潮によって
破壊されてしまったそうです。また右下には家の基礎部分が見えています。
ここにくるまでは、集落の高所移転は防災としてはよいけれど、不便だから・・・
とやや否定的に考えることもありましたが、この光景を見て、う~んと考えてしまいました。
奥に見える高所の家は被災していないのです。
右に見えるのは野球場、そして被災した住民の車です。
住民が築き上げてきた多くの財産が失われた事がよくわかります。
二階の壁が崩れています。堤防があってやや力が削がれたとはいえこの破壊力です。
もし堤防がなかったら、建物ごと完全に破壊されていたのではないでしょうか。
ここは2009年の旅行の時に何かお土産を買った記憶があります。
そして左側にあるトイレも使った記憶があります。
私はかつて炭坑街などを歩いたりして、廃墟を数えきれないほど見てきました。
しかしそれは眠るように朽ち果てた建物であって、この観光センターのように
徹底的に破壊された建物をみたことがありません。
この写真、事情を知らない人が見たら「テロにでもあったの?」
と思うかもしれません。
よく知っていた建物がこんなになってしまって私はショックでした。
部外者の私がこんなに衝撃を受けているのですから、地元の方が受けた衝撃は計り知れません。
帰りの新幹線も、補修工事の関係から那須塩原以北の徐行運転でした。
車窓から見える福島、郡山の街は一見普通でした。津波のように目に見える形で被害が
出ている場合はここが被災地だとわかります。しかし目に見えず、臭いも色もない放射能は
ガイガーカウンターがない限りその存在を知る事ができません。
私は一見平穏に見える福島、郡山という被災地の方が、
被災地であるという事が視覚的に実感できない分だけ
これはとても厄介なことだと感じました。