最近注目される後藤新平

震災からの復興に絡んで、後藤新平が注目されているようですね。率直にうれしいです。

後藤は関東大震災で焼け野原になった東京の下町の道路を拡張し延焼を防ぐようにし、
区画整理し火災時の避難を容易にしました。(しかし空襲には歯が立ちませんでした)
また自動車交通の極めて少なかった時代に、モータリゼーションを予感し昭和通り
通し、隅田川清洲橋等の美しく、しかもしっかり片側に車線の拡幅をもつ橋をかけました。

しかも後藤はイギリスの劣悪なるロンドンを脱して、郊外に職住近接のNew Townをつくる
という大ロンドン計画にも興味をもち、都心と郊外の境目にグリーンベルトを作ろう
と計画しました。これは後の戦前の東京緑地計画として一部分実現されました。
(ここらへんTonさん詳しそうですね。今度都市開発談義でもしたいですね。
 花見もかねて・笑)

その敷地が戦後、小金井公園野川公園等に転用されました。
(関連事項としてイギリスの田園都市構想と東急グループ田園都市線開発とか
 田園調布ってどうして「田園」なのか、ここら辺を勉強するとよくわかります)

後藤は、まさに哲学的思考といいますか、なぜなのか?をとことん追求した人物です。
彼の本業は医師なのですが、感染症対策として、上下水道を学び、今度は
その整備の手段として都市計画を学ぶというように、追求していくのです。

もし後藤新平にご興味をもたれた方は、簡単なのは

文字通り「後藤新平の会」というのもありまして、それはこちら

でもって2009年、今回震災の被害を受けた田老、宮古、釜石と回って、
本当は八幡平に行きたかったのだけれど雨が降ったので後藤新平の生家を見学した時の
写真が以下のものであります。
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この後鳴子温泉に行こうと思ったのですが、水沢駅前を通りがかったところ
「赤い機関車」が見えたので、急遽予定を変更し、ED75の撮影と相成りました。

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