歴史的既視感

作家・司馬遼太郎氏は、明治以降の日本の歴史を40年サイクルで説明している。
(出典は忘れました。すみません・・・)

欧米の植民地化が懸念されていた発展途上国だった1868年
それから約40年経って大国ロシアを打ち破った1905年に日本は慢心し、
その慢心から国の進路を見誤り、1945年には当時の日本人の1/23にあたる
310万人もの人々が死亡して敗戦を迎える。
そして1979年に"Japan as No.1"と戦勝国アメリカに褒められ
戦後40年にあたる1985年にバブル景気を迎え、経済的な慢心が生まれる。
これから衰退局面に陥るのではないか?

といった内容だったと記憶する。(すみません出典等はっきりしないのです)

衰退局面であることはわかっていた。そしてその衰退を克服できない原因の
原因は「問題の先送り」であったと思う。
その点1997年のアジア経済危機に際し、見たくない問題点をじっくり
検証した上で大胆な外科手術をし、大量に出血したものの、
全ては保護できない「選択と集中」というキーワードで得意分野に
資金と人材を「集中」させ、飛躍的に経済成長を遂げた韓国とは大違いである。

効果のない少子化対策、人口が増加することを前提とした保険制度。
留まることを知らない赤字国債の発行などなど、
先送りにして来た問題の解決を一気に突きつけられた気がしている。

原発の安全性と放射性廃棄物の処理問題、プレート会合点に近い東京という
都市に多くの人と中枢機能が集中しているという問題点(最近首都機能移転
議論を聞かないでしょ?)そして今後私は「必ず起こる」と判断している
国債の暴落に伴う日本の経済混乱。

どうして私たちは先の大戦から学ばなかったのだろうか?
それは歴史「を」学んでいて、歴史「から」学んでこなかったからではないか。

情報を小出しにする組織と「安全」を繰り返す東電・保安院・御用学者と
「勝った勝った」とアナウンスし続けて来た大本営の姿が重ならないか?

放射線の降り注ぐ中賢明な活動を続ける前線の人々と、どうも呑気に見える
上層部は、将校はアホだが、前線の兵士は優秀だとアメリカに言われた旧日本軍
の組織とダブらないか?

そして私たち庶民はきっと言うのだ「だまされた」と。
310万人もの犠牲を払った戦争「から」学んだことを今我々は噛み締めるべきであろう。