別子銅山その2

マイントピア別子を後にした我々は、「東洋のマチュピチュ」という
たいそうな名前をつけられた東平(とうなる)地区へ行きました。
マチュピチュなんて、大げさだなぁと思いきや、かなり強烈な山道。
対向車が来たらどうしましょうという感じの心細い山道を進むと
「こんな山奥に」という感じのところに東平地区がありました。

 足尾や夕張は鉄道が通じていましたから、山奥といってもそのレベルは
たいした事はがないと言えばないのですが、ここは索道、つまり荷物輸送用の
ロープウェイのみで下界とつながっていたという地なので、まさに「アパッチ野球軍
の舞台である「猪猿村」(今調べてみたら「猪猿村」は愛媛県という設定だそうです)
のようなところ。遥か遠くに新居浜の街が見えますが、その遠さと言ったら・・・。

 このような鉱山を見学していると、よくもまぁこんな山奥で穴を掘って銅を採掘し、
人々が生活していたなぁ、と思うのと同時に、この街で生まれた人もいるだろう、
そんな「思いでの地」が朽ち果ててしまうのをその人たちはどう感じているのだろう?
といつも思うのです。

 最盛期の姿は「東平」というキーワードで検索するとそこにお住まいだった方の
サイトにたどり着けます。

 とにかく、スゴいところでした。G先生、運転ありがとうございました。
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